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「セメント王」浅野総一郎物語① 貿易立国ニッポンを夢見て

Japan In-depth / 2023年5月2日 11時0分

この構想は、欧米への出張がきっかけで芽生えた。総一郎は明治30年4月、東洋汽船の社長として9カ月に及ぶ海外出張を終えた。これは横浜とサンフランシスコの航路を決め、イギリスで船の建造も発注するための旅だった。





やっと懐かしい横浜港が近づいたが、久しぶりに見ると、あまりにも貧弱な港だった。





総一郎が乗船していたアメリカ船籍の船は、アメリカでは岸壁に横付けできたが、横浜では海が浅すぎて、港に近づくことができない。海岸から遠く離れた沖合に錨を下ろし停泊する。そこに艀(はしけ)と呼ばれる小さな数十隻の船が近づき、人や荷物を運搬する。港に横付けできないのだ。





横浜と言えば、日本にとって「表玄関」だ。それなのに無様な姿に映った。総一郎が乗っていた船には、外国人96人、日本人4人がいたが、外国人の一人は艀を指さし、「あれは何なんだ」と怪訝な表情で尋ねてきた。





総一郎は身振り手振りで艀の説明をしたが、何か辱めを受けているような気がして、冷や汗が出た。見慣れた風景のはずなのに、なぜこんなに恥ずかしく感じたのか。それは、今回の旅行で、アメリカ、カナダ、イギリス、ロシアなどの港湾の設備を見たためだ。





ハワイでは、巨大な船が港の中に入り、岸壁に接岸。そこに、汽車が待ち、すぐに荷物を運んでいた。ロシアの黒海湾の港。こちらも、巨大な汽船も岸壁に横付けできるように浚渫されていた。しかも港には、山上の畑から往復16マイルのベルトコンベアが敷設されている。つまり、畑からじかに小麦の袋がどんどん運ばれ、船積みできる仕組みだ。3000トンの小麦の船積みはわずか一日で完了した。





ドイツのハンブルク港はさらに驚くべき機能を持っていた。大豆8000トンを積んだ船が岸壁に横付けされる。岸壁には、25両の30トン貨車が並んでいた。この貨車と船倉の口には、それぞれ袋のようなものが装着されており、電源を入れると、船の中の大豆は、袋を伝って貨車の中に入っていく。荷揚げが完了するまでわずか10時間だった。





(②につづく)





トップ写真:浅野総一郎翁銅像(神奈川県横浜市神奈川区、浅野中学校・高等学校)ⒸJapan In-depth編集部




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