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NYに突然の段ボール箱・・・樋口廣太郎さんの熱意 「高岡発ニッポン再興」その81 

Japan In-depth / 2023年5月24日 11時0分

NYに突然の段ボール箱・・・樋口廣太郎さんの熱意 「高岡発ニッポン再興」その81 


出町譲(高岡市議会議員・作家)





【まとめ】


・アサヒビール樋口廣太郎社長は、前例のない辛口ビール、スーパードライを生んだ。


・ビール開発は、生産部門と営業部門が共同で進めた。


・アサヒビールは一気に躍進。戦略を持ったネアカな企業改革者だった。


 


先日、高岡市議として、関東近辺に視察に行きました。その際泊まったのが、浅草のホテルでした。駅からの途中、目に飛び込んだのは、アサヒビール本社でした。ビールと泡をデザインにした建物です。


正直懐かしかったです。私が1991年、時事通信の食品担当記者として、この建物に通いました。記者になったばかりです。取材が楽しくてしょうがありません。当時、アサヒは最も注目されている会社でした。スーパードライが大ヒットし、躍進したからです。


当時の社長は樋口廣太郎さんです。私は樋口さん宅に、頻繁に夜回り取材に行きました。情報をとること以上に、樋口さんの経営論を聞くのが大好きでした。


「明るく元気に前向きに取り組めば、道は切り拓ける。」「社員に対し、こちらから、挨拶するようにした。『お早う』とこっちから声をかけるんだ。それでも無視する奴がいたら『こら挨拶ぐらいしろ』と怒鳴るんだ」。


奥さんがスーパードライを出してくれ、深夜11時ごろから始まる経営論、いや人生論は本当に興味深かったです。私は勝手に弟子入りし、“師匠”だと思い込んでいました。


樋口さんはもともと住友銀行副頭取でした。当時の頭取と対立して、退職。アサヒビール入りした時、シェアは9%程度。業界トップのキリンビールのシェアは60%を超えていました。「夕日ビール」と揶揄され、社内の雰囲気が暗かったといいます。


 樋口さんは社長就任後、従業員にこんな発言を繰り返していました。「私は生まれつき運がいい。この強運を信じてついてきてほしい」。「前例がないアイデアこそが重要。今までやったことがない試みをやるべきだ」。


そして、生まれたのがスーパードライでした。これまでに前例のない辛口ビールです。「前例がない、だからやる」と決断したそうです。


そのビールの開発は、生産部門と営業部門が共同で進めました。つまり、営業部門が消費者アンケートを実施し、市場や顧客の情報を集めたのです。それを商品コンセプトとして、生産部門に提案しました。生産部門はその情報をベースに実際の商品開発を行ったのです。


スーパードライをきっかけに、アサヒビールは一気に躍進。業界トップに躍進させた辣腕経営者となりました。戦略を持ったネアカな企業改革者と言っていいでしょう。


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