「セメント王」浅野総一郎物語⑦ ライバルは三菱の岩崎弥太郎
Japan In-depth / 2023年7月23日 18時0分
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・三菱グループ岩崎弥太郎が、渋沢栄一に三菱の“番頭”要請。
・岩崎は、独占的な利益を得る個人経営を主張。
・国家・社会に尽くす経営主眼の渋沢に浅野総一郎は影響された。
浅野総一郎はいつか郷土の偉人、銭屋五兵衛のように、船を持ち海運業を始めたいと思っていました。しかし、海運業界には、行く手を阻む「巨人」がいました。三菱グループの創業者、岩崎弥太郎です。
九十九商会で海運業を営んでいた弥太郎は明治6年、社名を「三菱商会」に切り替えました。そのころから怒涛のような躍進が始まります。明治7年の台湾出兵で軍事輸送を一手に引き受け、巨額の利益を得ました。
そして極めつけは、明治10年の西南戦争です。九州各地の不満士族も合流し、反乱軍は大規模になった。
三菱商会はこの時、定期航路をすべてストップし、政府側の軍人や兵器の輸送を引き受けました。政府は4150万円という巨額の資金を使った。そのうち、三菱商会は1500万円も儲けたと伝えられている。実に戦費の3分の1です。
戦費は三菱の言い値で、明治政府にとっては「西郷が前門の虎なら、三菱は後門の狼」とも言われた。三菱商会はそれほど圧倒的な力を持っていたのです。岩崎は、大久保利通や大隈重信らの信頼を勝ち取り、「政商」として圧倒的な存在感を示していました。総一郎はかねがね、サクにこう漏らしていた。
「岩崎弥太郎の独占では、日本のためにはならない。海運業界でも競争が必要だ。独占企業が勝手に運賃を引き上げるのは、やはりおかしい。俺は子供のころから銭屋五兵衛のように、船を持ちたいと思っている。岩崎弥太郎に対抗したい」。
総一郎の“師匠”である渋沢栄一も、岩崎弥太郎の独占ぶりに懸念を抱いていた。渋沢と岩崎は当時の日本の経済界での二大巨頭だったが、互いに敬遠していました。
ところが、岩崎が明治一一年の八月にアプローチしてきたのです。それが有名な「隅田川の決闘」です。
じめじめした夏の日、岩崎が渋沢を隅田川の舟遊びに誘いました。屋形船を浮かべて話し合おうというのです。渋沢は岩崎のやり方を公然と批判していただけに、どうして招待されたのか。少し不可解だったが、「お互いに話し合ういいチャンスだ」と応じました。
待ち合わせの場所は隅田川沿いの料亭。岩崎は、黒塗りの二頭立ての馬車に乗って到着しました。すぐに宴会が始まりました。芸者を呼んで、どんちゃん騒ぎとなったのです。芸者たちは「御前様」「御前様」と、岩崎に甘えた声を出していました。
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