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「セメント王」浅野総一郎物語⑦ ライバルは三菱の岩崎弥太郎

Japan In-depth / 2023年7月23日 18時0分

宴会が終わった後、渋沢は料亭下の船着き場から、岩崎に誘われて屋形船に乗った。船が川の真中辺りに来たところで、船頭たちは櫓をこぐのをやめた。船は川の流れに任され、静まり返る中、岩崎は渋沢の目をみつめました。





「渋沢さん、うちの三菱商会に入って、私を手伝ってください。二人で経済界の富を独占しましょう。企業というのは、能力のある社長が独占的に引っ張る。儲かれば、その儲けは社長のものであり、損をすれば、社長が責任を取るものだ」。渋沢に対し、三菱の“番頭”になるよう要請したのです。





渋沢はその誘いを断りました。2人は会社のあり方について激しく対立していたのです。岩崎はあくまで、「会社は社長が独裁すべきある」とし、個人経営を主張しました。独裁体制で、独占的な利益を得ようという主張でした。





一方の渋沢は、合本(ごうほん)組織、すなわち株式会社化を主張しました。「みんなで責任を分担し、利益を配分する」経営が必要だと論じたのです。富の独占ではなく、株式会社をつくって、利益を幅広く分配しようという考えです。





総一郎は渋沢の思想に深く影響を受けていました。独占を嫌い、国家のため、社会のために尽くす経営を主眼としていたのです。





渋沢と対立した岩崎は、総一郎にとっても「敵」と映りました。そのころ、時代は動く。絶対的な力を誇示していた弥太郎率いる三菱商会に対し逆風が吹き始めた。いったい何が起きたのでしょうか。





(つづく)





トップ写真:岩崎弥太郎 出典:国立国会図書館ウェブサイト




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