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米中新冷戦とは ー中国軍事研究の大御所が語るその3 なぜ関与政策は間違いだったか

Japan In-depth / 2023年7月23日 23時0分

――ただしあなたは当初はソ連との正面対決にも腐心していましたね。レーガン大統領の下でのソ連との対決期に国防長官の特別ブレ—ンとなる「ネット・アセスメント(戦略評価)」という部局の一員でしたね。この部局は戦略問題の大御所とされたアンドリュー・マーシャルという人物がトップで、アメリカにとっての中期、長期の最大の脅威を認定し、対処することが任務でした。


ピルズベリーさんはその次席のような立場で当時はソ連の脅威への対応が最大任務だった。中国との関係も中ソ対立を背景に中国を強くしてソ連を抑える付加の武器とするという計算も大きかったといえますね。


「そうですね。しかしアメリカ側での中国に関する誤算というのはその歴史も長いといえます。ただしその流れのなかで、いまから思えば真実をみすえていた人物もごく少数ながらいたのです。


古い話ですが、米中和解の端緒となった1972年2月のニクソン大統領の中国訪問の際、同行したキッシンジャー大統領補佐官とニクソン氏との間で著名な政治評論家のウィリアム・バックレー氏を連れていくか否かの協議がありました。バックレー氏は自分なりにすでに中国を考察して、一定の考えを持っていたのです。ニクソン氏は同じ保守同士としてバックレー氏とも親しく、その考察は参考になるだろうと考えたようです。


しかしキッシンジャー氏が絶対に反対でした。バックレー氏が当時の中国に対してきわめて厳しい認識を持っていたことを知っていたからでした。そして同氏の同行なしの歴史的なニクソン訪中が実現しました。中国を実際にみたニクソン氏らは強い好感を覚えました。


青い人民服を着た多数の中国人男女が自転車で勤勉そうに動いている。誰もが貧しいようだが、穏やかそうに生活している。政権首脳も平和を求めているようだ。この中国こそアメリカにとっての新たなパートナーだ――と。


 ニクソン、キッシンジャー両氏ともこんな感想を抱き、対中和解の出発点としました。同行した200人ものアメリカの報道陣もまったく同じ前向き、友好的な印象を受け、その趣旨の報道をしました。


しかし彼らは中国の独裁政権下の人権の抑圧、文化大革命での苛酷な革命推進、対外的な共産主義の武力膨張などという現実をみなかったのです。


この点、バックレー氏は当時から『共産主義独裁の中国はナチスのドイツと変わらない弾圧と侵略の危険な国家だ』と明言していたのです。いまみれば、この認識が正しかったのです」


(その4につづく。その1,その2)


*この連載は月刊雑誌「正論」8月号掲載のインタビュー記事「米国の過ちは抗議だけで対中政策Wをを変えなかったこと」の転載です。


トップ写真:中国人民解放軍の儀仗隊を視察するニクソン米大統領(1列目右)とキッシンジャー当頭領補佐官(2列目真ん中)、周恩来中国首相(1列目左)1972年2月1日 中国・北京


出典:Photo by © Wally McNamee/CORBIS/Corbis via Getty Images


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