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「セメント王」浅野総一郎物語⑨  官営工場払い下げに名乗り

Japan In-depth / 2023年7月25日 18時0分

工部省は、殖産興業を推進した官庁で、明治政府ができたばかりのころは最強官庁の一つです。





工部卿の山尾庸三。工部省のトップです。山尾は文久3年(1863)年に伊藤博文や井上馨らと一緒にロンドンに留学した「長州5傑」、いわば長州ファイブの1人です。その後の明、治政府でも絶大な力を持ち、官営工場の払い下げに関しては最高責任者でした。





渋沢は自家用の馬車に総一郎を乗せ、工部省に行きました。そして「払い下げ」について陳情したのです。





「浅野総一郎に関しては、この渋沢が保証します。浅野は三井、三菱のような有名な財閥ではありませんが、大変な努力家です。浅野に払い下げれば、昼も夜も汗をかいて働き、セメント工場の生産も増えるでしょう」。





山尾は別れ際にこんな発言をしました。





「深川のセメント工場が運転を休止してから、三井からは倉庫を建てたいので払い下げてくれという申し出がありました。三菱からは別荘を建てたいから払い下げろと言われました。実は大いに困っていたのです。政府としては、セメント工場を継続して経営してもらいたいからです」





渋沢は面談の後、帰りの馬車の中で総一郎にこう言いました。





「山尾さんは今回のセメント工場については浅野君を指名するでしょう。長年付き合っているので、今日の態度で分かりました。きっといい結果がでますよ」





総一郎は改めて渋沢に感謝した。「この人には一生逆らえないな」。





(その⑩につづく。①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧)





トップ写真:浅野総一郎 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」




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