「セメント王」浅野総一郎物語⑫東京、横浜に近い常磐炭鉱を運営
Japan In-depth / 2023年8月2日 18時0分
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・明治16年、総一郎は渋沢栄一と磐城炭鉱会社を設立。
・ネックは、石炭の輸送手段だった。
・鉄道(今の常磐線)を敷設し、日本近代化の礎を築いた。
浅野総一郎は間違いなく、日本の近代化の礎を築いた人物です。炭鉱のビジネスも手掛けました。磐城炭鉱です。
磐城地方の有力者が明治16年ごろ上京し、総一郎に磐城炭鉱の開発を持ちかけたのです。「磐城では豊富に石炭が取れますが、我々地元の地元資本だけの開発では限界があります。本格的な開発には、東京の資本が必要です」
総一郎にとっては「渡りに船」でした。当時の石炭の産地は、九州や北海道が中心。西南戦争の際、九州からの石炭の輸送が途絶え、東京や横浜では石炭価格が暴騰しました。その苦い経験から、もっと近いところに炭鉱が必要だと考えていたのです。
総一郎は実際に、磐城炭鉱を何度も視察していました。ただ、そこで目にしたのは、厳しい現実でした。家族単位で作業を行う小規模経営ばかりだったのです。
絶好のチャンスです。渋沢栄一にも声を掛け、磐城炭鉱の本格開発に踏み切ることにしました。それが明治16年に設立された磐城炭鉱会社です。総一郎は資本金の総額4万円のうち、1万500円を支払いました。渋沢は6000円出資しました。
磐城炭鉱をどのように経営するのか。総一郎と渋沢は意見が対立しました。
「浅野君、この地方で採掘した炭鉱はこれまで5000坪でした。当面は、その程度の規模にし、今後増やしていくのはどうか」
これに難色を示したのが、総一郎です。「いやそれでは小さすぎます。石炭は今後、膨大な量が必要になります。今回一気に250万坪の採掘をしたらどうでしょうか」。
東京や横浜の需要を予測すると、少しずつ増やしていくのでは間に合わないと考えたのです。総一郎は、日本経済の大きな飛躍を確信していたのです。磐城炭鉱の鉱脈は実際、豊富でした。どんどん石炭が採掘されました。
しかし、ネックとなったのは、石炭を消費地に輸送する手段でした。炭鉱から馬や牛の背中に石炭を載せ、港まで運搬。港から東京や横浜までのルートです。帆船で運ぶですが、海は大荒れとなることが多く、転覆事故がしばしば起きたのです。時間的にもコスト面でもムダがいっぱいです。輸送費のアップで、石炭の価格は上昇しました。磐城炭鉱は赤字に陥り、無配当が続いたのです。
それでも総一郎は撤退する気はありません。日本経済が東京を中心に発展するためには、磐城炭鉱は不可欠だと感じたからです。苦境を脱するためには、鉄道の敷設が重要です。それにしても、総一郎は大きなことを考えますよね。
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