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「セメント王」浅野総一郎物語⑫東京、横浜に近い常磐炭鉱を運営

Japan In-depth / 2023年8月2日 18時0分

ちょうどこのころ、岩倉具視など華族が出資して誕生した日本初の私鉄である日本鉄道は、上野を出発し、宇都宮、郡山、福島を経て仙台に向かう東北本線を完成させました。内陸部を通って東北に通じる鉄道で、北日本の交通の便が一気に改善しました。


それに倣って総一郎は、福島の平町(現在いわき市)から上野まで太平洋岸を走る海岸線を敷設する計画を打ち出した。専門家と一緒に現地視察した結果、200万円があれば、平町と上野間の路線を完成できることが分かりました。実現すれば、磐城鉱山で産出された石炭は採掘した翌日に、東京や横浜の工場まで運ぶことができます。


総一郎は渋沢栄一らと一緒に建設の出願書を、鉄道省に提出しました。この海岸線は明治30年、完成しました。これで石炭は東京まで陸路で運搬できるようになったのです。この結果、磐城鉱山の経営は大幅に改善し、1、2割の配当を出しました。この海岸線は、今の常磐線となっています。


炭鉱をきっかけに、鉄道まで敷設する。まさしく、近代化の下地を総一郎はつくったのです。


(⑬につづく。①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪)


トップ写真:磐城炭鉱株式会社炭坑


出典:国立国会図書館「写真の中の明治・大正」


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