1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「セメント王」浅野総一郎物語⑬ 海運会社発足、初仕事は屯田兵の輸送

Japan In-depth / 2023年8月3日 18時24分

「セメント王」浅野総一郎物語⑬ 海運会社発足、初仕事は屯田兵の輸送




出町譲(高岡市議会議員・作家)





【まとめ】





・日本郵船は三菱が経営の主導権を握り、「独占の弊害」目立つ。





・明治19年、浅野総一郎、海運業界に参入。





・三菱が渋った屯田兵輸送を引き受け、利益を出した。





 





浅野総一郎にとっては、石炭やセメントという「山」での仕事だけではない。「海」も新たな戦いの舞台となりました。





先にお伝えしたように、三菱商会と共同運輸は2年余り死闘を繰り広げた後、明治18年に合併し、日本郵船が誕生しました。





日本郵船は事実上、三菱が経営の主導権を握っていました。海運業界の中では、圧倒的な巨大会社で、「独占の弊害」が目立ってきました。繰り返し運賃を引き上げました。





総一郎は明治19年7月、渋沢栄一に直談判した。





「頭を下げて高い運賃を支払うのは、嫌です。自分の会社で使う石炭とセメントだけでも、せめて自分の船で運びたいと思っています。これだけ運賃が高いと、日本の会社の競争力が低下します。出資してください」。





渋沢もこの話に頷きました。出資することになり、浅野回漕店が明治19年11月に発足しました。





総一郎が最初に手に入れたのは、ドイツ人が保有していた中古の船、「ベロナ号」です。2000トンの船で、価格は4万円です。のちに、「日の出丸」という名前に変えました。





日本郵船が独占している海運業界への参入。前途多難が予想されましたが、ベロナ号を購入した直後、仕事が舞い込んできたのです。つくづく、浅野総一郎は運に恵まれていますね。





北海道屯田兵長官、永山武四郎が総一郎に面談を求めました。宿泊している東京・麹町の旅館、相模屋に来いという指示です。屯田兵とは、明治時代に北海道だけに存在した、開拓をかねた軍組織のことです。





永山は終生北海道の開拓にこだわり、2代目の北海道庁長官となった人物です。屯田兵の生みの親とも言われ、一本気な性格で知られていました。





総一郎はさっそく、その宿を訪れました。永山からは開口一番こう言われました。





「おたくはベロナ号を購入したそうだが、屯田兵2000人余りの輸送をお願いしたい。実は今度、堺から小樽まで急きょ、屯田兵を運ぶことになった」。





永山はさらに語気を強めました。「日本郵船に相談すると、1万円でないと輸送できないと言われた。おれは5000円ぐらいで輸送してくれと頼んだのだが」。





そこで総一郎に白羽の矢を立てたというのです。





その上で、こう話しました。「日本郵船には5000円ぐらいにしてくれと言ったのだが、君の会社なら7000円ぐらい出してもいい」。





この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください