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日本のサポーターよ、原点に戻れ(下)スポーツの秋2023 その6

Japan In-depth / 2023年10月4日 21時0分

「ここで試合を中止したら、暴動が再燃する」





との判断で強行されたという。





結果は、日本でも有名な「将軍」プラティニ(元フランス代表。後に代表監督)がPKを決めて挙げたゴールを、イタリアのお家芸であるカテナチオ(金庫の鍵)と称されるディフェンスで守り抜いたユベントスが1-0で勝利。





ユベントスはUEFAチャンピィオンズカップ初優勝を成し遂げたのだが、もはや試合結果とか、初優勝がどうとかいう問題ではなくなっていた。決勝点を挙げたプラティニ自身、





「生涯ただ一度、なんの喜びも感じない勝利であった」





「あの試合は正常ではなかった。今でも犠牲者とその遺族の方々のことが頭から離れない」





などと述懐している。





事態を重く見たUEFAは、事件直後、イングランドの全クラブを無期限で国際試合から閉め出すと発表したが、関係各方面との話し合いにより、リバプールに対しては10年間、他のクラブに対しては5年間の出場禁止処分が下された。





冒頭で述べたように、事件は1985年のことなので、1990年にはイングランド勢に対する処分が明け、翌91年にはリバプールも復帰が認められている。





この事件は「TV中継」されていたため、暴動に加わった者の特定も比較的容易で、英国の警察によって25人が身柄を拘束された。彼らは裁判を受けるため、軍用機でベルギーに移送されたが、どういうわけか傷害致死ではなく過失致死傷で裁かれ、刑罰も最高で懲役3年という軽いものにとどまっている。





一方では、警官隊を指揮していた警備責任者らが、フーリガン対策に不慣れであったとは言え、重大な不手際があったとして訴追され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。





言うまでもなく、衝撃を受けたのはサッカー界にとどまらなかった。当時のサッチャー首相は事件に対して、





「グレイト・シェイム」





という最大級の嘆きの表現を用い、イタリアとベルギーに対して公式に謝罪した上で、警察の権限強化や、スタジアムへの酒類の持ち込み禁止など、対策を打ち出している。





ユベントスはイタリア北部の工業都市トリノを本拠地としているが、当時のみならずヴァチカンでも追悼ミサが開かれた。





各国のマスメディアも、このようなことになったのは、イングランドのフーリガン対策が甘すぎたからだ、との論調で埋め尽くされた。





これに応えて、各クラブがフーリガンの淘汰に乗り出したのはもちろん、選手たちもイングランド・サッカーの名誉を回復しなければ、という意識を共有しはじめたらしい。 





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