「動学的不整合」~約束を破る誘因~
Japan In-depth / 2023年11月9日 7時3分
もっとも、安全保障においても不確実性は大きい。相手がどういう損得勘定をしているか、正確に理解することは難しい。そこで、対立はしていても、コミュニケーションをとることがとても重要になる。お互いの損得勘定の仕方が正確に分かっていれば、抑止力の見積もりも正確になる。
このケースでの動学的不整合は、例えば抑止力の均衡の下で平和条約を結んでいても、状況の変化で相手の抑止力が低下した場合、それを破って武力行使を選択する誘因が高まるといったようなことだろう。これは、経済力、社会の安定も含めた国家の総合的な抑止力が大事なことを示唆している。
■合理性は常に仮定できるか
金融政策の場合は、中央銀行も家計・企業も、さらには金融仲介に携わる金融機関も、一定の合理性を持っていると考えられる。彼らが納得できる損得勘定の下で行動していなければ、それぞれのステーク・ホールダーから厳しく非難されるだろう。しかし、安全保障に関してはそれが担保されているとは限らない。
歴史を振り返れば、どうしてあの時点で武力衝突の選択肢を取ったのかという疑問が投げ掛けられるケースがいくつもある。どうしてそういうことになったか。その解明は歴史研究に委ねるべきものだが、時間の経過とともに勝てる確率が低下するという予想がある場合、勝利の確率がピークの時に、例えその確率が十分に高くなくても、乾坤一擲の賭けに出るということも考え得る。実際、そうした賭けが成功した例もある。
そうした判断は、ここで考えている合理性の範疇には入ってこない。さらに、権力が集中する国家においては、一層その合理性が担保されない可能性が高くなる。20世紀の初めに亡くなった英国の歴史家、アクトン卿の有名な言葉に、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」というものがある。権力が集中すればするほど合理性が失われると読み替えても良いだろう。
このように、安全保障の分野では、動学的不整合を超えて、関係者の合理性そのものを当然には仮定できないところがある。独裁的な運営がなされている国家においては、独裁者自身がどう感じ、どう決定するかが国家の方針を決める。したがって、常に国家の意思決定の合理性を前提に、次の一手を予測することはできない。また、歴史を振り返れば、重要な意思決定の際に空気あるいは忖度が支配する国においても同様なことが起きる例もあった点は忘れてはならない。
情報の開示、その伝達のあり方は、金融政策の場合も、国家の安全保障の場合も、動学的不整合を乗り越える上で極めて重要な要素になる。しかし、国家の安全保障については、合理性が仮定できるかどうかが、それ以前に重要な要素になるのである。なお、以上の記述は、特定していない限り、今日の特定の組織、国家を想定したものではない点を申し添える。
トップ写真:アメリカワイオミング州で開かれたジャクソンホールシンポジウムにて(右から)欧州中央銀行のラガルド氏、日本銀行の植田氏、連邦準備制度理事会議長ジェローム・パウエル
出典:Photo by Natalie Behring/Getty Images
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