李克強前首相死去とその告別式
Japan In-depth / 2023年11月12日 11時9分
澁谷司(アジア太平洋交流学会会長)
【まとめ】
・10月27日午前0時10分、李克強前首相が死去した。
・11月2日、北京での李克強告別式は厳重な警備の下に行われた。
・一部報道によると、習主席が李克強の家族と握手したり、会話していたりしている映像はなかった。
今年(2023年)10月27日午前0時10分、李克強前首相が死去した。前日26日午前中、上海の高級ホテルのプールで泳いでいたが、心臓に支障をきたしたという。その後、李克強は、現代医学の病院ではなく、漢方の病院(曙光医院)へ搬送されたが、心臓外科の専門医が来るまで約2時間費やしたという。
この李克強の死をめぐり、様々な憶測が飛び交っている。「上海市武装警察のトップの陳源なる人物が李克強を毒殺した」という趙蘭健(元中国メディアの記者)のX(旧Twitter)への投稿が一部のウェブメディアに流れた。(a)
真偽のほどは定かではない。しかし、すでに引退して何の実権を持っていない李克強が“殺害”されねばならない理由は一体どこにあるのだろうか?
昨年10月の党大会前には「習下李上」(習近平主席が総書記を辞し、李克強首相が総書記に就任する)が盛んに言われていた。
実は、最近、「反習派」が、「これ以上、習主席がトップでは共産党政権がもたない。もう一度、李克強を総書記に担ごう」という動き(b)があったという。
評論家達は、李克強の死は習主席の仕業ではないかと疑念を抱いていたが、ある評論家(颜純鈎)は、最初、それを信じなかった(c)という。なぜなら、李克強が何の理由もなく死ねば、社会全体に動揺が生じ、習主席の統治に対する反発が強まるからである。
しかし、彼は、これは自分達のような“正常な人間”の思考であるとして考えを改めたという。すなわち、主席に対し不安を感じている党幹部達に警告を与える意味があったのではないかと主張する。(c)もし、彼らが主席に服従しないのであれば、定年後でも、非常手段で抹殺するぞ、という脅しではないだろうか。
10月27日、李克強が急死したことを受け、習政権は関連ニュースやネットユーザーのコメント、及び追悼活動を厳しく統制した。だが、一方では、李克強を追悼するために自発的な行動を起こす人々が増えている。
実際、安徽省合肥市にある李克強の実家(紅星路80)には弔問客がひっきりなしに訪れ、翌28日朝には、献花に訪れた人の列が、一時、200メートルにも及んだ(d)。旧居外壁には花が積まれたが、地元の生花が不足し、外地から緊急に送られて来た。
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