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キッシンジャー氏のベトナム離脱の大失態

Japan In-depth / 2023年12月13日 23時0分

北ベトナム側は緩急に続けた軍事攻勢を2年後には国家の総力を南ベトナムの戦場に投入する軍事大攻撃へと発展させた。そして2ヵ月たらずの間に南ベトナムの政府と軍隊を完全に軍事粉砕したのである。


北ベトナムはこの間、南ベトナムとの和平のための交渉には一切、応じなかった。パリ和平協定が決めていた「軍事行動の停止」、「平和的な統一」、「民族和解」などにすべて違反する軍事攻撃だったのである。その結末は1975年4月30日のサイゴン陥落だった。私はその地にあって、一つの国家と政府、一つの社会が分裂国家とはいえ、外部からの軍事攻撃によって完全に破壊されるのを目撃した。



写真)サイゴン陥落中、ベトコンの砲火にさらされながらタンソンヌット空軍基地で民間人の避難を警備する米海兵隊 1975年4月15日、サイゴ ン


出典)Photo by Dirck Halstead/Liaison   


パリ協定には当時のアメリカのリチャード・ニクソン大統領と南ベトナムのグエン・バン・チュー大統領との「北ベトナムが協定破りの大規模な軍事攻撃に出た時は米軍の再介入もある」という秘密の合意があった。だがそのニクソン大統領は北の大攻撃以前にウォーターゲート事件で辞任していた。


アメリカはパリ和平協定以後、南ベトナムへの武器や弾薬の供与も減らしていった。他方、北ベトナムは共産主義の同志のソ連と中国の両方から安定した軍事支援を得ていた。そしてアメリカの歴代政権が共産主義勢力の拡大を防ぐという意図で支えてきた南ベトナム政権はサイゴン陥落により消滅した。


北ベトナムは大勝利の直後に、この長年の闘争は民族独立だけでなく、共産主義革命であったことを堂々と宣言した。その主体はあくまでベトナム共産党だったとも誇らしげに述べたのだった。


アメリカが支援した民主主義の南ベトナムは消滅した。その破局を座視したアメリカはベトナム反戦の世論に満ちていたのだ。


キッシンジャー氏が進めたベトナム和平とはそんな結末だったのである。同氏自身も後にベトナムでの同盟国の喪失は大きな誤算によるとして、みずからの失態を何回も認めた。



写真)北ベトナムからの侵略軍からの避難を求めて米軍艦に近づく南ベトナム難民。1975年4月、サイゴン近くの南シナ海


出典)Photo by Dirck Halstead/Getty Images


南ベトナム国民の多くがアメリカの支援の継続を望んでいたことも、いやというほど証明された。サイゴン陥落からその後の20年近く、旧南ベトナムからは数百万人もの国民がボートピープルなどとして国外へ脱出していったのだ。長いベトナム戦争の期間中、南ベトナム国民が荒海での危険を覚悟して、小舟に命を託し、政府の取り締まりにも逆らい、自国を捨てるという現象はまったくなかった。この事実をみると、キッシンジャー氏が達成した「ベトナム和平」の虚や負はさらにはっきりしてくるといえよう。


トップ写真:カマラ・ハリス米国副大統領とアントニー・ブリンケン米国務長官主催のインドのナレンドラ・モディ首相を招いた昼食会に出席するヘンリー・キッシンジャー元米国務長官。2023年6月23日 米 ワシントンD.C.


出典:Photo by Alex Wong/Getty Images


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