鮎川義介物語⑤アメリカの技術で新しい自動車会社
Japan In-depth / 2024年1月4日 17時0分
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・昭和8年12月、帝国ホテルで新会社「自動車製造」創立記念パーティーに多くのアメリカ人・日本人が参加した。
・鮎川のスピーチに感銘を受けたアメリカ人技術者ウィリアム・ゴーハム、協力を決意。
・鮎川・ゴーハムの二人三脚によって、自動車業界への本格進出を果たす。
鮎川義介はいよいよ、自動車産業への本格進出を果たすことになりました。
典型的な初冬の気候です。冬場の太平洋側で空は晴れ渡り、北風が吹いていました。師走だけに、人通りが多かったのです。昭和8年12月26日。東京・日比谷の帝国ホテルの舞踏室は賑わっていました。新会社「自動車製造」の創立記念パーティーが開かれたのです。
参加していた日本人とアメリカ人。その会場で飛び交う言葉も英語と日本語です。戦争の足音が高まっていた当時としては、異様なシーンでした。鮎川はまず、英語でスピーチしました。
「わが社は鋳物では、日本一になりましたが、水道管の継手のような小さなものを作っていては、これ以上の会社の発展は見込めません。それに、日本が世界に伍していくためには、国産自動車を大量生産しなければならない。この会社がその拠点になります。」。
その言葉の節々には、日本とアメリカの架け橋になろうという意気込みにあふれていました。さらに言葉を続けました。
「資本を十分に投入し、適切な指導と訓練が行われれば、日本人が日本で自動車工業を築けるだろう。そのために、アメリカから専門家の皆様をお招きしました。私はアメリカの人や会社と密接に協調して、新事業を始めたい。いささか遠大な望みかもしれませんが、新会社を通じて太平洋の両岸に位置する日本とアメリカの国民の相互理解を促進したい」。
このスピーチの後、一人のアメリカ人が鮎川に近づきました。45歳のアメリカ人技術者、ウィリアム・ゴーハムです。
ゴーハムは大正7年、30歳の時に、妻と二人の子供と一緒に飛行機技師として来日。鮎川と親交を深め、価格の安い大衆車の開発に着手していました。趣味はエンジニアリングと言ってはばからない仕事一筋の男でした。キリスト教の熱心な信者であり、発明家でもあったのです。
「私は鮎川さんと一緒に働けるのが誇りです。これまでの努力がいよいよ実る時期になりました」。
「いや私こそ、ゴーハムさんに会わなかったら、自動車製造に踏み出していなかったでしょう。本当感謝しています。自動車製造の技術はアメリカに頼らなければなりません」。
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