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鮎川義介物語⑦陸軍はフォードなど外資締め出し狙う

Japan In-depth / 2024年1月7日 18時0分

鮎川義介物語⑦陸軍はフォードなど外資締め出し狙う




出町譲(高岡市議会議員・作家)





【まとめ】





・自動車をめぐる行政は、商工省と陸軍の二頭体制だった。





・陸軍は外国企業を駆逐できなければ国防上重大な欠陥が生まれると考えた。





・このスタンスは、商工省と鮎川とは対極的だった。





 





前回は、昭和初期の段階では、フォードなどアメリカの自動車大手が進出したとお伝えしました。





それでは日本のメーカーは存在しなかったのでしょうか。そうではありません。トヨタや日産が台頭する前、自動車を製造する会社はありました。





三菱造船や三井物産、川崎重工なども自動車製造に関心を示し、試作車などをつくっていました。また、陸軍の補助で、東京瓦斯電気工業、石川島自動車製作所、ダット自動車製造の3社が軍用の自動車を製造してましたが、それもわずかな台数でした。





しかし、自由貿易をもとに、アメリカ車が日本市場を席巻していたのです。日本の多くの企業や国民の中でも、国産車よりは、安価に手に入るアメリカ車の方がいいという声が出ていました。





外資を導入して、いち早く日本で自動車産業を作るべき。そんな鮎川義介にとっての“同志”は商工省でした。岸信介が官僚として、鮎川を応援していました。





自動車をめぐる行政は2頭体制でした。1つは商工省。こちらは、当時の商工大臣、町田忠治は自由貿易論者でした。アメリカ資本との提携に積極的だったのです。一方の陸軍は提携には否定的でした。





陸軍は昭和9年6月23日付で、巨大企業フォードに対する「挑戦状」をたたきつけました。新たに大規模な国産自動車会社を創設し、大量生産を行うことをうたったのです。さらには、自動車生産を許可制とし、国産自動車を保護するという内容でした。日本市場を席捲しているフォードなどを締め出すことを狙った措置でした。





こうした陸軍の案を執筆した陸軍省動員課の伊藤久雄少佐はこんな分析をしていました。





「戦争を始めても、日本の自動車製造能力は当初の1年ほどしか作れない。自動車を自給自足するためには、早急に大量生産の設備が必要だ。さらに、自動車は将来、飛行機に転用することも可能だ。自動車は総合産業であり、それが発展すれば、ほかの産業の発展にも寄与するはずだ。さらに、日本では自動車の台数12万台を超えているが、将来ますます増加するだろう。しかし、このうち9割以上で外国車が占めており、貿易赤字の原因になっている。アメリカの自動車会社は、日本だけでなく、アジアにおいても市場を独占しようとしている。こうした状況下では、国産自動車を確立し、外国企業を駆逐できなければ、日本の産業上、さらには国防上、重大な欠陥が生まれるだろう」。





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