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鮎川義介物語⑩「満州に移住してもいい」鮎川の本気度

Japan In-depth / 2024年1月13日 11時0分

鮎川義介物語⑩「満州に移住してもいい」鮎川の本気度




出町譲(高岡市議会議員・作家)





【まとめ】





・鮎川は「満州の重工業会社、資源会社や持ち株会社を担保に米国資本を入れること」を提案。





・「日産全体が満州にいく覚悟が必要」で「移住してもいい」とまで表明。





・鮎川は、満州開発で「米の出資を受ければ日米開戦は避けられる」と説明。





 





星野直樹は3日後の夕刻に、麹町の三番町にある鮎川義介の自宅を訪れました。大きな屋敷です。門を叩くと、女中が出てきました。星野だと名乗ると、すぐに居間に通されました。洋風の造りで、白の壁紙。明るい雰囲気を漂わせていました。





「星野さん、わざわざ出向いてもらってありがとうございます」





「本日は満洲開発の青写真をお聞きするため、参りました。どんな具体案があるのですか」





「満洲の重工業の開発には、アメリカの機械を導入する必要があります。これには思い切って米国資本を入れなければなりません。しかし、それには担保が必要です。私が思うのは満洲の重化学工業そのものが担保になります」。





「一体どういうことですか」





「満洲の重工業、鉄鋼なり、自動車なり、鉱山なりがそれぞれ分野ごとに会社を作ります。それらの会社の上に、全体を統括する持ち株会社を作ります。満州の重工業会社、資源会社すべてを傘下に持つ会社です。つまりこの持ち株会社や傘下の企業を担保にして、アメリカから資本を借り入れ、満州全体の開発を行うのです」。





「鮎川さんが日本にいて、だれか経営者を満州に派遣するのですか」。





「そうじゃない」。鮎川は机をたたいた。





「私一人で満州に飛び込んでもだめだ。誰か経営者を送り込んでもだめだ。日産全体が満州に飛び込んでいく覚悟が必要だ。私は日本での事業はあらかた終了した。思い切って満州に移住してもいいと思っています」。





星野は鮎川の言葉に驚きました。この男は本気なのです。これほど大きくした日産財閥をそのまま、満洲に引っ越すという考えなのです。それは、この言葉通りに実行されれば、満州国に事業が根付くでしょう。5カ年計画のめども立つでしょう。満州には新時代が到来するのです。





星野に鮎川を推薦したのは、部下の次長である岸信介でした。ある日、星野が岸に尋ねました。





「満州の自動車産業を発展させるためにはどうすればいいと思いますか」。





「5カ年計画では、最終年度までに年間2万台の生産を目指しています。今の同和自動車には、その技術力はありません。自動車を大量生産するためには、日本の自動車会社を呼び寄せるべきです」。





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