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岸田派解散、首相の胸の内

Japan In-depth / 2024年1月21日 12時0分

茂木氏の初出馬は1993年の衆院選と、安倍晋三元首相と同じだが、日本新党として政治的キャリアをスタートし、自民党に入党したのは1995年のことだった。





純血主義の自民党では、茂木氏のような「外来種」や石破茂元幹事長のような「出戻り」にはハンディがある。しかも茂木氏の場合、平成研の実力者である青木幹雄氏に嫌われていた。





2010年の参議院選には出馬せず、政界を引退した青木氏は、自身が官房長官を務めた故・小渕恵三首相の次女である小渕優子衆院議員を可愛がり、「優子を総理に」が口癖だった。だがその夢は叶わず、青木氏は2023年6月11日に死去。青木氏は生前に「葬儀には茂木の名前の献花はいらない」と述べていたというから、茂木氏の嫌われっぷりは半端ではない。





そしてその影響は、いまだ参議院に残っているという。すなわち、茂木氏は平成研会長になったがゆえに求心力を維持できているが、派閥がなくなってしまえば、参議院では影響力がゼロになりかねない。





しかも茂木氏は岸田首相より2歳上で、今年10月には69歳になる。このように総理総裁を狙うチャンスはどんどん小さくなっているのに、派閥を解消してわざわざチャンスを潰す必要はない。





派閥の解散によって「人生設計が狂った」のは、西村康稔前経産相も同じだ。小さい頃から総理大臣になることを目指し、故・安倍晋太郎外相の「城代家老」と言われた故・吹田幌元自治相の娘と結婚。出世の登竜門といわれる官房副長官や新型コロナウイルス感染症対策担当大臣などを務め、順調にキャリアを重ねてきた。2009年の自民党総裁選では、谷垣禎一元財務相と河野太郎デジタル相が一騎打ちするところを、森喜朗元首相に言われて「第3の候補」として初出馬。3番目に甘んじたものの、議員票の数では35票の河野氏より8票多い43票を獲得した。





順調よくキャリアを重ねてきた西村氏だったが、それも清和会という派閥が存在したためだった。「西村氏は頭は良いが、親しい友達がいない。総裁選に出るための20人の推薦人を、果たして自前で集められるのか」と、危惧する声は少なくない。





このように考えると、岸田首相が唐突に派閥の解散を実行したのは、9月の総裁選で一人でも多くのライバルを消し去るためではなかったかとも思えてくる。そうだとすれば、岸田首相が強調してきた「刷新」や「信頼回復」は、そのかけらも存在しなくなってしまうのだが。





トップ写真:令和6年能登半島地震に関する非常災害対策本部会議(第13回)で発言する岸田首相(2024年1月19日 東京都千代田区首相官邸)出典:首相官邸ホームページ




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