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三木武夫ばりの2枚腰、岸田首相、どう窮地を乗り切る

Japan In-depth / 2024年1月23日 19時0分

1974年12月、金脈問題で退陣を余儀なくされた田中角栄首相の後を襲って就任した三木武夫氏は、76年に米国発で発覚したスキャンダルの解明に異常な執念をもやした。









▲写真 三木武夫元首相。首相就任前の写真(1974年6月)出典:Getty Images





米国の航空機メーカー、ロッキード社が自社機を売り込むために王族を含む各国の要人に賄賂をばらまいた。





日本では、あろうことか田中前首相が逮捕されるという事態に発展したが、三木氏があまりに真相解明に前のめりだったため、自民党内から「はしゃぎすぎ」などという批判が噴出、退陣要求が高まった。





しかし氏は、自らは身辺清潔で事件とは無関係であり、反三木の間で後継候補が一本化されていないことなどを見透かして退陣要求をはねつけ続けた。





しかし、〝二枚腰〟も長くは続かなかった。76年12月戦後初の任期満了選挙となった総選挙で敗北、退陣を余儀なくされた。





■岸田・三木両氏にみられる共通点は





三木武夫氏と岸田首相の共通点をみると、元首相い率いる派閥は常時20人前後の小さい世帯、岸田派も総勢40数人で党内第4の小派閥にすぎないことがひとつ。





三木氏は、ロッキード事件を利用して、政敵、田中氏の追い落としをはかったといわれたが、岸田氏も今回、政治資金規正法違反事件を好機に安倍派の影響力排除をもくろんだといわれる。





後継候補が不在で、そのことが三木延命の余地につながったが、〝ポスト〟岸田の本命が見当たらないことも共通する。





それやこれやで、岸田政権が危ういながらもなんとか存続するという見方がでたのもあながち不思議ではなかった。





■〝万事休す〟の危機、首相にわずかな希望も





岸田首相についてみれば、昨年暮れの一部世論調査で、支持率低下が底を打った気配がみられ、年明けのNHK調査では、かすかだがアップ、能登半島地震への政府対応を評価する声も半数を超えた。





首相としては、1月26日に召集される通常国会で来年度予算を順調に成立させ、目玉政策の少子化対策を軌道に乗せ、春に予定されている国賓待遇での訪米で華々しい成果をあげて、体制を立て直したうえで、秋の総裁選での再選につなげたいところだったろう。





それだけに、重大視していなかった身内の不祥事での立件は、伏兵と言おうか、予想外の大打撃だった。





通常国会での野党の追及は激しいものが予想される。





審議が停滞し、予算成立の見通しがたたなくなって、首相が〝クビ〟を差し出して予算を成立させるという最悪の事態も想定されよう。





古い話になるが1989年、リクルート事件で通常国会の審議が紛糾、万策尽きた竹下登首相(当時)が、退陣表明して、それと引き換えに予算を成立させた経緯があるから、非現実的な話とばかりはいえない。





かりに通常国会を無事、乗り切ったとしても、総裁選が行われる秋には、衆院の任期満了が1年余に迫る。自らの選挙を考え、「勝てる総裁」を擁立しようと岸田おろしが激化するかもしれない。





岸田首相にとって悪い材料ばかりとは限らない。





1月22日に掲載された朝日新聞、読売新聞の調査を見ると、岸田内閣の支持率はいずれも24%。それぞれ、前月比1ポイントアップと、1ポイント減。いずれも2012年の政権復帰以来の最低水準とはいえ、この厳しい情勢の中でわずかとはいえアップか微減というのは驚異的というべきだろう。





首相にとって、形勢挽回のチャンスが、わずかながらあるかもしれない。




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