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鮎川義介物語⑰岸信介だけでなく、左派の大物とも親交

Japan In-depth / 2024年1月26日 23時0分

鮎川は「書籍の散逸は惜しい。こんな時代だからこそ、大原のようなところで研究を継続すべきだ。大原研究所の貴重なライブラリーをそのまま維持し、基礎的な研究を続けるべきだ」と主張しました。





鮎川は昭和17年暮れにまとまったお金を寄付し、義済会をつくりました。この義済会が大原社会問題研究所に寄付を始めたのです。調査研究活動には口出しせず、研究成果についての報告書の提出を求めなかったといいます。





鮎川は「大原研究所の貴重なライブラリーをそのまま維持し基礎的な研究をつづけることが私の希望なのだ」と惜しみなく資金援助しました。





大内は鮎川と親交を深めました。





「戦後鮎川さんが戦犯に擬せられて巣鴨に送られる前日であった。鮎川さんは筆者(大内)を招いて、『巣鴨では君の方が先輩だ、その心得を語れ』といった。私はそれに答えて『ああいうところに行けば落花流水、のんきにやるしかない』といった。その後、彼は獄中からたびたび通信をおくり、その道において達人となったことをほこらかに私に告げてきた。そこで私も返書を送って彼をなぐさめた。結局鮎川さんのような達人は『囚人』として三畳の部屋におしこんでもおいてもその志はそんな壁などどうにでもなるものではない」。





昭和一二年に大内ら多くの学者は治安維持法違反で検挙されました。収監された経験は、大内の方が「先輩」というわけです。





(⑱につづく。①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪、⑫、⑬、⑭、⑮、⑯)





トップ写真:「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(新・日米安保条約)に署名する首相岸信介首相とクリスチャン・ハーター米国務長官(1960年1月19日 ワシントンD.C.)出典:Photo by Marion Trikosko/Library of Congress/Interim Archives/Getty Images




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