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常磐病院尾崎章彦医師、松田妙子賞を受賞

Japan In-depth / 2024年2月25日 17時0分

腹が据わった人間は強い。この間、彼は大きな実績を挙げた。例えば、乳腺診療だ。





現在、勤務している常磐病院乳腺外科の外来延べ患者数は尾崎医師が赴任した2018年の1642件から2023年には6777件に4.1倍に増加した。同期間に入院患者数は527人から2777件と5.3倍、乳がん手術件数は34件から92件と2.7倍に増加している。





いわき市は全国で最も医師不足が深刻な都市の一つだ。2020年末現在、人口10万人あたりの病院勤務医数は98.5人で、中核市42市の平均(155.3人)の63%である。





尾崎医師が常磐病院に赴任し、乳腺外科を強化した結果、これまで郡山市や仙台市、あるいは東京にいかなければ治療を受けることができなかった乳がん患者たちに、治療を受ける機会を提供したことになる。





尾崎医師の活躍は診療だけではない。研究でも大きな実績を残した。浜通りの震災・原発事故に関する研究から、医師と製薬企業の利益相反、金銭問題に関する研究、東南アジア、アフガニスタン、中国との共同研究など、さまざまな分野の研究を進め、これまでに350本以上の英文論文を発表している。





診療の傍ら、これだけ多くの論文を発表できたのは、彼が後輩の指導に力をいれたからだ。その象徴が北海道大学医学部5年生の金田侑大君である。春休みや夏休みの長期休暇の度に、いわき市や都内で尾崎医師と面談し、普段はZOOMなどを使いながら、指導を受けた。その結果、2023年の一年間で50報以上の英文論文・論考を発表している。その中には英『ネイチャー』誌など一流誌も含まれる。





臨床、研究、指導での実績が認められ、2021年12月、尾崎医師は福島県立医科大学の特任教授(非常勤)に就任した。若干36才での就任である。





なぜ、生涯学習財団が尾崎医師を表彰したのだろうか。私は、尾崎医師の行動が、その創業者である松田妙子氏の理想を体現しているからと考えている。





松田妙子氏は、1927年生まれの実業家だ。その人生は『旺盛な欲望は七分で抑えよ 評伝昭和の女傑松田妙子』(鈴木れいこ著、清流出版)に詳しい。ご興味のある方は、一読をお勧めする。かの三島由紀夫との恋愛、戦後の日本の復興を米国に伝えるため広報会社コスモPRの設立、日本の住宅事情を改善すべく日本ホームズを立ちあげ、「戦後の住宅産業界に徒手で乗り込んで成功した(前著より)」エピソードが紹介されている。





彼女のバイタリティは、どこに由来するのか。筆者の鈴木氏は、父親である松田竹千代氏(1888~1980年)の存在を強調する。大阪の泉南で生まれ、府立岸和田中学(現岸和田高校)を中退し、渡米した。米国ではニューヨーク大学で学ぶ傍ら、コックや運転手として社会経験を積む。当初、実業家を目指していたが、スラム街や人種差別に触れ、社会福祉事業を志すようになる。12年後に帰国。日本では国政にも進出し、衆議院議長や文部大臣などを歴任する。「社会福祉事業に一生を捧げた政治家」と称される。





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