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技術と理論の怖さについて     「核のない世界」を諦めない その1       

Japan In-depth / 2024年4月7日 13時17分

 たしかにナチスは反ユダヤ主義の綱領を掲げていたが、アウシュビッツ強制収容所とか、今では周知のユダヤ人迫害の実態は、戦後ようやく明らかになったのである。


 ならば、学者たる彼らを大量破壊兵器の開発に駆り立てた本当の動機とは、一体なんであったのか。この映画が濃厚に暗示しているのは、当時、理論物理学と軍事技術の両面において世界最先進国と見なされていた、ドイツの学者たちに対するライバル意識であったのではないか。


 実際に、映画の中では、我々は6ヶ月遅れをとっている、と危惧するスタッフに、オッペンハイマーがこう反論するシーンがあった。


「我々に有利な点もある。ヒトラーは理論物理学を〈ユダヤ人の学問〉として軽蔑している」


 つまり、米国のマンハッタン計画のように潤沢な予算と人手は割かないのではないか、と。


 そして実際、米国はニューメキシコ州の放牧地(先住民のものであったらしい)にロス・アラモス研究所と称する施設を建設し、全国から科学者や技術者を集めた。この基地だが、責任者に指名されたオッペンハイマーの提言により、一戸建ての住宅多数の他、学校、教会、酒場まで設けられていた。


「充実した研究生活を送るためには、家族と暮らすべきである」


 というのが彼の主張で、研究所と言うより研究者たちの住む街をひとつ造ってしまったのである。


 この「ロス・アラモス研究所」が、すなわちマンハッタン計画推進の主体であったが、1942年6月にスタートしたこの計画には、総額20億ドルが投じられた。


この金額について「当時の日本の国家予算に匹敵する」とした文献が複数あるが、色々読んでみると、それはさすがに言い過ぎであるようだ。


1945(昭和20)年の為替レートは1ドル=15円だったので、単純計算で言えば20億ドルは300億円。一方、昭和19年の国家予算は735億円だから、半分にも満たない。昭和20年はどうなのかと言うと、この年の8月をもって国が事実上潰れてしまったので、予算がどうのという話ではないようだ。


一方では、当時の米国のGDPはゆうに日本の20倍を超えていたと見られるので、前述の為替レートが実勢に近かったとも考えにくい。単純計算で、とわざわざ述べたのは、そういう意味であったが、その詮索はひとまず置かせていただく。


こうして莫大な予算と米国最高峰の研究陣を擁した彼は、次第に原爆実験を成功させることに純粋な情熱を傾けるようになって行く。


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