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技術と理論の怖さについて     「核のない世界」を諦めない その1       

Japan In-depth / 2024年4月7日 13時17分

前述のように、マンハッタン計画は1942年6月にスタートし、そのコンセプトは、


「ヒトラーのドイツに先んじて原子爆弾を開発すること」


 であったわけだが、そのヒトラーは敗戦不可避と見られる状況下、1945年4月30日に、ベルリンの総統地下壕で自決した。そして実際、ドイツ軍は5月7日にフランスのランスで米英など連合軍に、9日にはベルリンでソ連軍に無条件降伏したのである。


映画の中でも当時、ヒトラーがこの世から消えた以上、原爆の開発を続けるのは無意味では、という発言が聞かれた。しかし政府と軍は、


「まだ日本が残っている」


 と言って、計画の続行を決定する。


このあたりのオッペンハイマーの葛藤と、軍やホワイトハウス筋との軋轢の描き方が絶妙で、それがこの映画を傑作たらしめたと、私は思う。目的は手段を正当化する、とは昔から言われることだが、彼にとってはもはや、原爆実験を成功に導いて、自分の理論の正しさを証明すること自体が目的と化して行ったのである。


1985年にオウム真理教による一連の事件が報じられた際、


(科学者や医者が犯罪に加担すると、本当に無茶苦茶がやれるものだな)


 という感想を抱いた。彼らも最初、ハルマゲドン(最終戦争)に備えて教団を武装化する、という教祖の言に従い、毒ガスの生成などに手を染めたわけだが、逮捕後の供述などから、次第に兵器の実用化は、科学者としての成功の証しだと考えるようになっていたことが読み取れる。これが、科学とか技術の恐ろしい一面で、結果の悲惨さは一連のオウム事件の比ではないにせよ、オッペンハイマーもまた、その危険性を体現してしまったのではないか。


 映画の中でも、計画のお目付役というか一種のご意見番というか、そうした役回りの陸軍大佐(ほどなく准将に昇進)も登場し、これがなかなかよい味を出していたが、実はMIT(マサチューセッツ工科大学)出身で物理学に造詣が深い、という設定になっていた。


そして、オッペンハイマーは、研究陣の中から、核爆発の連鎖反応によって大気が全て燃え上がる危険性を指摘する声が聞かれたと述べて、こんなやりとりになる。


「そうなる確率は?」


「ほぼゼロ」


「ほぼ、か。ゼロだといいのにな」


 原爆が投下された場合の被害のシミュレーションも当然なされたが、あくまでも理論上の想定で、被害者にそれぞれの人生があることなど、一顧だにされない。これが「理論の怖さ」だと。あらためて感じ入った。


 次回は、被爆地となった広島・長崎の実情が描かれなかった問題も含めて、もう少し掘り下げてみたい。


(つづく)


 


トップ写真)上院原子力特別委員会で証言するロバート・オッペンハイマー ロスアラモス原子研究所所長 1945年5月12日


出典)Keystone/Getty Images


 


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