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赤狩りと恐怖の均衡について(上)「核のない世界」を諦めない その3

Japan In-depth / 2024年4月18日 20時41分

赤狩りと恐怖の均衡について(上)「核のない世界」を諦めない その3




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・共産党員及びシンパを摘発し、追放しようという運動、通称「赤狩り」。





・1950年代、ジョセフ・マッカーシー上院議員が推進した。





・矛先は政治家や公務員だけではなく、映画人や出版人にまで向けられた。





 





「原爆の父」と呼ばれた理論物理学者のロバート・オッペンハイマーであったが、戦後、米国の政府機関及び安全保障関連の研究機関内から、共産党員及びシンパ(同調者)を摘発し、追放しようという運動、通称「赤狩り」に巻き込まれてしまう。





巻き込まれた、という表現を用いたのは、映画『オッペンハイマー』に描かれて射る通り、彼の妻と不倫相手の女性(!)が、いずれも共産党員であったことから、こうした事態を招いたからであるが、そもそも「赤狩り」とは一体なんであったか、という点から見てゆかねばならないだろう。





言うまでもなく、この表現は日本独自のもので、米国での呼称は





”Red Scare”である。





共産主義の恐怖、が定訳となっているようだが、私は個人的に「共産主義に対する恐怖」の方が正訳に近い、と考えている。





実は連合軍による占領下にあった敗戦後の日本でも、GHQ(占領軍総司令部)の肝煎りで共産主義者が一斉に公職から追放されたことがあり、こちらは「レッドパージ」と呼ばれていた。





赤は、社会主義や共産主義を象徴する色として世界中に認知されており、そうした思想を信奉する政党野生児団体は決まって赤旗を掲げるが、もともとは1789年に勃発したフランス市民革命において、社会主義的な思想を掲げる急進派が、





「支配階級を血に染めよ」





という理念を込めて、赤い旗を掲げたことに由来するらしい(諸説あり)。





少し余談にわたるが、このフランス革命の結果として、それまでの身分別の議会が廃され、新たな国民議会が招集されたのだが、その議場において、保守派は右側、急進派は左側に陣取った。読者ご賢察の通り右翼とか左翼といった呼称は、このことに由来する。





第二次世界大戦後に話を戻して、ナチス・ドイツが敗色濃厚となり、戦争の先行きがほぼ見えてきた時点で、米国はすでに、次なる敵はソ連邦だと考えていた。





前回、後に大統領となる連合軍最高司令官アイゼンハワー元帥らが、ベルリンを占領する軍事行動においてソ連軍に先を越されたことを後悔かつ屈辱的と考え、それが日本の降伏を早めるため、原爆の使用を決断させたと考え得る、と開陳させていただいた。





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