赤狩りと恐怖の均衡について(中) 「核のない世界」を諦めない その4
Japan In-depth / 2024年4月26日 17時0分
こうした学者たちの思いとは裏腹に、大戦後、核軍拡競争が始まってしまった。
冷戦構造そのものについては、大戦末期にすでにその萌芽が見られたことをすでに述べたが、戦争終結からほどない1946年3月5日、英国の元首相ウィンストン・チャーチルが米国のウェストミンスター大学において、こんな演説をしている。
余談ながら、この前年、45年7月の総選挙で、大方の予想に反し、彼が率いる保守党はクレメント・アトリー率いる労働党に敗れ、下野していた。すなわち、この時点では「前首相」であったのだ。
「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、大陸を遮断する形で鉄のカーテンが降ろされた。ワルシャワ、ベルリン、プラハ、ブダペスト、ベオグラード、ソフィアという名高い古都は、いずれもその向こう側にある」
「これは、我々が望んだ戦争終結後のヨーロッパの姿ではない」
有名な「鉄のカーテン演説」で、共産圏の閉鎖性を象徴する言葉として、西側諸国においてその後も度々引用されてきたが、本当は大学生やインテリ層を対象とした講演で、原爆の秘密は米英とカナダのみで共有すべきである、というのがその主旨であった。
こちら(西側資本主義陣営)だけが核武装している限り、共産主義者たちは「鉄のカーテン」を自ら開いて西ヨーロッパに打って出ることは出来ないだろう、というのである。
しかし現実は冷酷で、1949年8月29日、ソ連邦はカザフスタンの核実験場において原爆実験に成功。米国による「独占」は5年ほどしか命脈を保てなかった。
これを受けて、西側の核開発も加速し、1952年10月3日には英国、1960年2月13日にはフランスが、それぞれ初めての核実験を成功させた。
そして1964年10月16日、中国が核実験を成功させる。
当時の中国は、大いなる政治的混乱の渦中にあった。
1958年に、毛沢東率いる当時の共産党指導部は、当時世界2位の経済大国であった英国を対象に、
「農工業生産で15年以内に追い越す」
という目標を掲げた経済成長政策に乗り出した。世に言う大躍進政策である。
しかし、市場経済がまだまだ未成熟であった当時の中国において、労働者や農民に過酷なノルマを課す経済政策がうまく行くはずもなく、翌59年には全国レベルで飢饉に見舞われた。一説によれば、3000万を超す餓死者が出てしまったという。
さすがにこれは、毛沢東の権力基盤を揺るがす結果しかもたらさず、彼は同年、国家主席を辞任した。後に、1966年の文化大革命を通じて復権することとなるが、これについては本シリーズのテーマとあまり関係がないので割愛させていただく。
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