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宗教教育と言語について(下)イスラム圏の教育事情 その5

Japan In-depth / 2024年6月1日 23時0分

ロンドンで聞きかじった話であることを明記しておくが、英国国教会の高位の聖職者で、ラテン語が堪能な人はローマ・カトリックと比べてもむしろ多いそうだ。





さらに言えば、現国王チャールズ3世の出自であるウィンザー家だが、そのルーツはドイツのハノーファー家である。1714年、ハノーファー選帝侯ゲオルクと言う人が名前をジョージと英語風に改め、ジョージ1世として即位したことに始まる。





先王であったアン女王が、子供ができないまま逝去したことに伴い、又従兄弟に当たる彼が担ぎ出された。このあたりの経緯は拙著『女王とプリンセスの英国王室史』(ベスト新書・電子版アドレナライズ)に詳しいので、ご用途お急ぎでなければご参照願いたい。





ここではラテン語について少しだけ述べておくが、このジョージ1世という人、実は英語が全然出来なかった。貴族らとの会話はもっぱらラテン語であったが、一方がゲルマン訛り、他方がイングランド訛りであったため、お互いに相当苦労したと伝えられる。





……話がだいぶ回り道をしてしまったが、ギリシャ語で書かれた聖書は、ほどなくラテン語を皮切りに、様々な言語に翻訳されていった。





前回コーランについて、預言者ムハンマドが神の啓示を受け、それを書きとどめたもので、その言葉がアラビア語であったことから、翻訳という概念がそもそも成立しないのだと述べた。





この点、キリスト教の聖書は、イエスの弟子たちが師の言動や奇跡を起こしたことなどを書きとどめたものなので、布教のために多言語に翻訳されることには、さして抵抗もなかったのである。





とは言え、ローマにおいてキリスト教を広めてゆこうとした、初期の伝道者たちの苦難は、並大抵のものではなく、多くの殉教者を出した。今や観光名所であるローマのコロッセオ(円形競技場)で、素手丸腰のキリスト教徒をライオンと戦わせる見世物が行われたりもしたほどだ。





しかし、380年に時のテオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と定め、392年には他の宗教を禁止した。ちなみに、イスラムの登場に先駆けること約200年の話である。





その後、キリスト教は世界最大の信者数を誇るまでになるわけだが、これについては布教のために役立つなら、と聖書の翻訳を奨励した他、異教の祝祭などもどんどん採り入れていった。





たとえばクリスマスだが、新旧いずれの聖書にも、イエスが12月24日に生まれたなどとは書かれていない。





ローマを中心とする地中海世界では、古来「過越の祭」と称される年末のイベントがあった。1年の労働とその成果に感謝し、翌年の平安と豊作を祈るものだが、飲めや歌えのお祭り、まさしく「楽しいクリスマス」の原型となるイベントであった。





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