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「全レース1番の単勝を買い続けた男」文人シリーズ第6回「織田作之助 競馬を愛した『夫婦善哉』の作者」

Japan In-depth / 2024年7月15日 21時36分

 とても一人では買えないので、競馬場で知り合った見ず知らずの4人でグループ買いするようなこともあったという。一人5円(今の5000円〜10000円)の負担である。もし当たったら馬券を持つ一人が姿をくらます恐れがあるので4人で手を繋いでレース観戦していたという噓のような話がある。


 京都競馬場の最寄りの駅は、大阪の淀屋橋駅と京都の京阪三条駅を結ぶ京阪電車の淀駅である。競馬の開催日は通勤ラッシュ時のように混む。


 競馬場へ向かう電車は、「欲望」を乗せている。「希望」と言ってもいいかもしれない。車中でその日の僥倖を願わない者はいない。淀駅を降り立った私の心境は澄んでいた。覚悟が決まっていたのである。“織田作”の『競馬』に触発されて淀に向かったのは確かだが、実はもう一つ深刻な事情を抱えていた。会社の資金繰りに窮していたのである。


 そのころの京都競馬場は、東洋一の美しい競馬場といわれていた。内馬場には広大な池が穿たれ、白鳥が優雅な姿で遊泳している。


 しかし、清潔で優雅な佇まいは内馬場だけのこと。駅から競馬場の間は、猥雑な臭いを醸し出す、昔ながらの通りがあった。道筋には様々な店が並んで賑わい、酒と肴を出す。とくに旨そうなのは店先のコンロで焼く焼きイカや焼きとうもろこし、モツ焼きなどである。大道香具師の口上がにぎやかに飛び交っている。まるで縁日のような光景だ。


 その喧騒の中で、ひときわ目立つ白装束の予想屋がいた。路傍の地べたに敷物を敷いて端然と坐っている。


 遠目にも、女とわかる。 


 頭を白頭巾で覆い、白の小袖に袴をはいている。手に持った筮竹を振り、占い札のようなものをせわしなくかき交ぜる。もとは尼さんか、いや巫女さんか、それとも占い師か。いかにも霊験がありそうで、予想も神がかり的なのだろうかと思わせる。白日の下、大道で執り行われる「霊降ろし」にも見える。


 昭和の中ごろまで、これほど完璧な演出を凝らした淀の女予想屋は別格だが、怪しげな予想屋はどの競馬場にも少なからずいて、競馬のイメージ悪化に大いに貢献していた。競馬をやらない付近の住民にとっては、ただ気味が悪いだけだったろう。


 さすがに私は女占い師の予想は買わなかった。競馬場につくころには雨は上がり、空はどんよりとしたままで、織田作ではないがレースは荒れそうに思えて武者震いがきた。


 結果はどうなったか。前回のエッセイに書いたように、最終レースが終わると私はへたへた膝から崩れ落ちてしまったのである。レースは荒れたが、資金繰りはならず、私の心は荒れた。その月末に私の会社が倒産したことも前回書いたとおりだ。


 話を小説『競馬』にもどそう。1の単勝を買い続ける寺田がふと気づいた。なんと自分と同じく、さっきから1の単勝を買い続ける男がいたのである。寺田の顔から血の気が引いた。昔、一代に競馬狂いの男がいたことを寺田は覚えていたのである・・・・・・。


 これ以上は書かない。寺田の最終レースの結末がどうなったのかは同書を読まれたい。寺田と妻一代との競馬を介した狂おしい交情を知って、あなたが平穏な自分の暮らしのリズムを乱したとしても私の知ったことではない。小説の中で織田作之助は小説家にこう言わせている。「競馬は女より面白いのにね」。


トップ写真:現在の京都競馬場


出典:Photo by Lo Chun Kit /Getty Images


 


 


 









参考文献:『織田作之助 世相 競馬』(講談社文芸文庫)


出典)講談社BOOK倶楽部


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