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日中関係の再考 その1 いまなにが起きているのか

Japan In-depth / 2024年7月30日 0時0分

その私自身の中国とのかかわりあい、そして日中関係の考察についてこの機会に説明しておこう。





私は1970年代後半から毎日新聞のワシントン駐在記者となり、アメリカを拠点として中国を観察するようになった。当時のその中核は1979年の米中国交樹立だった。アメリカは周知のように1970年代前半から当時のニクソン大統領が中国への電撃的な接近を図った。やがてはそれまでの中華民国、つまり台湾との同盟関係、外交関係を断ち、中華人民共和国との正式の国交を樹立しようとする基本の方針だった。





このアメリカの突然の動きは当時、日本には事前に知らされず、日本側では「ニクソン・ショック」としての衝撃波となった。しかしニクソン大統領はその後、自分自身がウォーターゲート事件というスキャンダルへの関与を非難され、任期途中で辞任した。その結果、中国との国交樹立は大幅に遅れた。





アメリカが中華人民共和国との国交を樹立したのは1979年1月1日、民主党のカーター大統領の時代だった。その直後、中国側の最高指導者の鄧小平氏がアメリカを訪れ、ホワイトハウスで歴史的な米中国交樹立の文書に署名した。私はワシントン駐在記者としてその動きを取材した。鄧小平氏をホワイトハウス内で至近に見て、その発言を聞いた。その後、鄧小平氏のアメリカ各地の歴訪にも同行して、その言動を取材し、報道した。





そんな経験からアメリカからみた中国の動向には一貫した関心を向けるようになったわけだ。その関心は当然、では日本の立場はどうか、という命題にもつながった。それ以後、私のワシントンからの米中、日米の流れへのジャーナリストとしてのかかわりが続いたのだといえる。





しかしその間、私は中国や中華圏に実際に足を踏み入れる機会はなかった。だが1997年7月の香港返還で香港に2ヵ月ほど滞在し、その歴史的な出来事を報道するという機会に恵まれた。中華圏での初の取材だった。





香港での取材では当然、多数の記事を書いたが、長文の雑誌記事で「日中友好という幻想」という論文をも発表した。すると驚いたことに台湾の現職の総統だった李登輝氏から連絡がきた。「あなたのその論文に強い関心を抱きました。台湾にきてその課題でもっと話しをしませんか」という会見の招待だった。私はすぐ台北に飛び、李登輝総統との長時間の単独会見を果たして、その結果を産経新聞などで詳しく報道した。





以後、中国問題では欠かせない台湾という存在への強い関心を保持する結果となった。





さらに私は1998年秋から産経新聞の北京駐在特派員となった。正式の肩書は産経新聞としての初代の中国総局長だった。その結果、いやでも中国への関心、そして日中関係への関心は強く、深く継続することとなった。





そんな長い背景を持つ私がいまこの2024年夏という時点で日本と中国との関係に新たな光を当てようというわけである。





(つづく)





トップ写真:ニュージーランドのクリストファー・ラクソン首相との会談に臨む中国王毅外相(2024年3月18日ニュージーランド)出典:Samuel Rillstone - Pool/Getty Images




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