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相馬高校と灘校 教育でつなぐ未来

Japan In-depth / 2024年9月25日 23時0分

 そこで、鴨野先生から「実は灘高の生徒が被災地にボランティアにいく。福島県にも行きたがっている。可能なら、引率の前川直哉先生から連絡したい。」との提言があった。すぐに前川教諭から連絡があり、話はとんとん拍子にまとまった。


 余談だが、前川先生は灘高卒。阪神大震災当時、高校3年生だった。現役で東京大学に合格し、京都大学で大学院を終えた後、母校の教員となった。


 彼は、阪神大震災で全国から受けた支援を忘れなかった。当時、担任していた学年を卒業させると、福島に移住し、子どもたちを教育するための「私塾」を開いた。教育こそ、地域の復興の根幹と考えたのだろう。その後、福島大学の教員に任命されたが、現在も、福島に在住し、地域の教育振興に従事している。


 話を戻そう。震災から一年後の2013年3月、灘高の生徒8名と前川教諭、ピーター・ファーガソン教諭が相馬市にやってきた。生徒たちは阪神大震災直後に生まれており、幼少時から震災の話を聞いて育ったそうだ。


 まず、相馬市役所を訪問した。立谷秀清市長から被災当初の状況を聞いた(トップ写真)。「震災当日に難儀したのは棺桶の手配」、「震災の当日の夜に仮設住宅の土地を押さえた」という発言には衝撃を受けたようだ。現場のリーダーの「具体的な苦労話」は現地を訪問しなければ聞くことはない。


 ついで、相馬高校を訪問し、新高校3年の生徒5人、および学年主任の松村茂郎先生と意見交換した。私は1時間ほど同席したが、途中で中座した。後で聞いた話だが、議論は随分と盛り上がったようだ。今度は相馬高校の生徒、先生が灘高を訪問することになったという。


 実は、「相馬高校の生徒で一人、稲村建君という極めて優秀な生徒がいる」と聞いていた。震災までは東北大学に進み、数学を学びたいと考えていたようだ。ところが、「彼が揺らいでいる」と教師は語っていた。


 それは、東日本大震災以降、全国から相馬市に支援者が訪れ、新たな世界を経験したからだ。その一人が、代々木ゼミナールの国語教師の藤井健志先生だった。藤井先生は、「君の実力なら、東京大学でも合格する。考えてみたら」と勧めた。


 稲村君は、東大受験は考えたことがなかったようだ。東日本大震災まで、周囲に東大関係者がいなかったからだ。相馬高校からも10年以上、東大に合格していなかった。そもそも受験していなかった。2011年度入試に限っては名門福島高校ですら、東大に合格していなかった。


 灘高校との交流は、彼に自信を与えた。稲村君は、「相馬高校も灘高校も同じ高校生。やればできそう」と筆者に語った。2013年の入試で、稲村君は無事に東大理科一類に合格する。このあたりの状況は、当時相馬高校の教員だった高村泰広先生が、「相馬高校に東大現役合格をもたらした日本の絆」に記している。是非、お読み頂きたい。


 この交流は、その後、福島県内に拡散した。稲村君の代の学年主任だった松村茂郎先生は、福島高校に異動し、灘高校や藤井先生などと福島高校の交流が活性化した。今年、高島市長のもとに福島高校の生徒が訪問するのは、このような経緯があるためだ。


 これが冒頭にご紹介した記事の背景だ。大災害を経験した福島と神戸の交流がボトムアップで進んでいる。


トップ写真:相馬市役所にて。中央が立谷秀清相馬市長、右端が前川教諭、左端がファーガソン教諭、三人目が筆者。


出典:筆者提供


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