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「西行は武士を捨て歌人となった逃亡僧である」文人シリーズ第9回「北面の武士、西行」

Japan In-depth / 2024年10月24日 10時49分

 本命は1枠の徳大寺公能、対抗は源渡(みなもとのわたる)、穴の一番手が藤原俊成で、二番手が義清との見立てである。


 レースはこの8頭が一斉に走るのではなく、2頭ずつ組み合わされトーナメント方式で勝ち上がる。よくよく見ると、実に考えられた面白い組み合わせだ。権勢を誇った貴族社会がやがて終わり、まもなく武家社会がやってくる。古代から中世へ。日本の大きな転換期を捉えて巧みに配置した出馬表だ。馬はどうでもよく、騎乗者のラインナップに意味がある。作者嵐山氏の奸計には脱帽するばかりである。義清は1回戦を勝ち上がったが2回戦であえなく敗退した。優勝したのは、北面の武士のなかでも馬術の名手として知られた3枠の源渡。つまり、源氏一族の覇権掌握、鎌倉時代の到来を暗示したのである。


 その後義清は23歳で出家、歌人として日本全国を行脚する西行法師となった。義清はなぜ出家したのか。嵐山氏はこう書いている。


「西行は逃げたのである。戦乱のさなかに死んでいった武者輩の仲間からみれば、卑怯者であり、逃亡僧である。西行は武士であった。軍人が戦争(保元の乱・筆者註)を前にして突如詩人にくらがえしたようなものである。武士でなければ恰好がつくが、武士であるがゆえにぶざまである。そのいらだちが西行を果てしない放浪へと誘った」


 なるほど、そうだったのか。出家の謎が解けた。


 ちなみに、放浪歌人西行に競馬を詠んだ歌は見当たらない。もしご存じなら、ぜひご教示願いたい。西行没しておよそ400年の後、西行の二度の東北行に憧れていた俳聖芭蕉は、念願だった奥の細道の旅の中で、こんな無粋きわまる句を詠んだ。


 蚤虱馬が尿する枕もと


「のみ しらみ うまが しとする まくらもと」


 これほどアンモニア臭が滲み出てくる文芸作品もめずらしいのではないか。尿が臭う。ほんとうは、馬の尿は勢いがあり、遠くからでも聞こえたよというのが彼の言いたかった光景だという。だが世間では、芭蕉は人馬同居の家に泊まらされ、馬小屋の隣部屋でのみとしらみに悩まされ、突然響く放尿の音に驚き、眠れない一夜を過ごしたと解されてきた。私もそうだった。奥州の伝統的家屋「曲り屋」だからさもありなんと思って怪しまなかった。この句の持つ破壊力、アヴァンギャルド性に気づかなかったのである。


 北面の武士、西行も当然愛馬の面倒を見たことはあったろう。だが威勢のいい交響曲を寝物語に愛馬と一夜を共にしたことはあったろうかと、秋の夜の静寂の中でふと考えた。


 









引用・参考文献 『西行と清盛』(2012年・中公文庫)


 


トップ写真)賀茂祭の競馬の様子。1692-1696年 石川龍川(1692-1696)の『大和小祭絵抄』より(本文とは関係ありません)


出典)Photo by The Print Collector/The Print Collector/Getty Images


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