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能登半島地震被災地を訪問して

Japan In-depth / 2025年1月15日 18時0分

能登半島地震被災地を訪問して


医療法人社団鉄医会 ナビタスクリニック立川 


院長 瀧田盛仁


【まとめ】


・能登半島の老人ホームでボランティアに参加。


・老人ホームでは、職員不足やインフラ回復が課題となっている。


・地震発生から1年たっても復興は道半ばだが、地元を守ろうとする人々の強い思いがあった。


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「下水道がまだ通じていないので、用を足したあとはトイレ砂や新聞紙にくるんでゴミ袋に捨ててください。」


私はかつて、テキサスから東日本大震災の復興支援に携わった(1)。その経験が頭をよぎり、今回、震災から1年となる能登半島地震の被災地で支援活動に参加することにした。冒頭の一言は、輪島市にある特別養護老人ホームのオリエンテーションでの注意事項の一部である。震災から1年が経とうとしているにもかかわらず、排泄環境さえ整わない現状に衝撃を受けた。


 



 2025年 元旦

私は、能登半島にあるこの老人ホームを訪れ、ボランティアとして活動した。震災前には約80人が入居していたそうだが、現在はその40%程度しか戻っていないという。発災直後、この施設は避難を進めて一時閉鎖していたが、サービス再開に向けた取り組みが思うように進まず、電気や水道といったインフラの回復が後回しになったようだ。さらに、再開に踏み切ろうとしたところで職員の退職が相次ぎ、現在は半数ほどの人員しか確保できていないとのことだった。そのため、施設長は「避難が本当に正解だったのかどうか、今でも悩んでいる」と明かした。


 



 能登半島の地形と道路事情

元来、能登半島は港がいくつもある一方で、平地が少ない土地柄である。昨年9月の豪雨では、仮設住宅が浸水被害に遭っており、安全な平地は少なく、居住地域を狭めている。


この老人ホームへ向かう道のりも険しく、道路の陥没が激しかった。能越道は穴水付近までは比較的スムーズだが、そこから先の輪島や珠洲の市街地にかけては凹凸が多く、さらに半島内を移動するなると、がけ崩れの影響で片側交互通行が続く区間が頻繁に現れる。道の傍らには倒壊したままの住居が散在していた。こうした光景は、東日本大震災の2か月後に東京から福島・相馬へ向かった際の道中を思い起こさせた(1)。


 



 キリコ、そして海路をめぐる話

老人ホームで出会ったおばあさんは、能登の「キリコ」について語ってくれた。能登半島では夏季に「能登キリコ祭り」が各地で行われ、巨大な灯篭であるキリコが能登の街を彩るという。かつては海運が盛んで、陸路よりも海路を介した人や物の往来が活発だったそうだ。実際、能越道を走ってみると、陸路の交通がいかに厳しかったかを実感した。おばあさんによると、昔から能登の人々は他所から来た人を温かく迎え、家に泊めるなどの開放的な文化を大切にしてきたそうだ。キリコは、そうした地域の精神が息づく工芸品の一端を担っているように思われた。


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