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【エンタがビタミン♪】西川貴教、光宗薫×増田有華とAKB48裏話 「いずりな、たかみなの席は空いてる」

TechinsightJapan / 2017年4月21日 13時42分

子どもの頃から歌が好きで漠然と歌手になりたいと思っていた増田は、カラオケ大会やNHKジュニアのど自慢などコンテストで歌っていたが、ダンスはAKB48に入って本格的に覚えた。そんな彼女がAKB48時代で一番辛かったのは「1日3回公演の合間にお台場冒険王でミニライブ」という過酷スケジュールだった。特に団体行動が苦手で「いつもiPodを聴いていた」彼女には苦痛だったのだろう。

光宗も公演の前座で出た時に増田を見かけたが「基本的に1人でしたね」と思い出せば、増田は当時のことを「スタッフさんからも態度が悪いとか散々言われてクサってましたよ」と明かす。AKB48では指原莉乃や高橋みなみのようにメンバーがプロデューサーの秋元康と頻繁に連絡をとるイメージがあるが、増田によると「秋元さんはけっこう手のかかるメンバーが好きだった」という。彼女は「やることだけやって帰るタイプだった」のである。

今度は光宗が「秋元さんと話したことがない」とカミングアウトして驚かせた。彼女がAKBに入った頃は“秋元康のごり押し”みたいに言われていたが、光宗自身は「記憶ではオーディションの時に目が合った以外は話したこともない」というから全く実感しなかったようだ。

また「AKBあるある?」について問われた増田は、握手会の裏側を「大部屋に布団100枚」と明かす。連日のハードスケジュールからゆっくり寝る時間もなく握手会の裏側では「そのまま雑魚寝、ケータリングも布団のところで食べて、保健の先生とかいた…」と聞いて西川は「浪人生の世界」と評した。

西川貴教は秋葉原AKB48劇場のステージに立った数少ない男性芸能人の1人だ。彼は劇場の裏側や楽屋まで見ている。光宗が「カオスな状態」と表現する楽屋について、彼は「“AKB”というから良いけど、旅芸人の小屋の楽屋みたい」とたとえた。その楽屋にさえ入れないのがアンダー(代役)で、西川が狭い通路に寄り合う彼女たちに「大丈夫?」と声をかけると「気にしないで下さい、私たちは空気だと思ってください」と返ってきた。その姿に「頑張れよ」と心の中で声援を送ったという。

AKBグループでは数百人に及ぶメンバーがいるなか、テレビに出たりCDで歌えるメンバーは限られている。西川はアンダーで頑張るメンバーを知って「そうじゃないんだけどなという中立的な立場で見る」ようになったそうだ。光宗が13期生になった時の気持ちを「AKBで自分はどういうポジションなのか? どうしたら目立てるか? 皆そうだと思います」と振り返ると、西川は「イス取りゲームみたいなもの」とうなずく。

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