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【エンタがビタミン♪・番外編】櫻井翔、広島の高校生たちが描いた『原爆の絵』から実感「証言をされない方の思いも大きく重い」

TechinsightJapan / 2019年8月6日 19時10分

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1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に広島市へ原子爆弾が投下されてから74年となる。「原爆の日」を前に4日、櫻井翔が広島市立基町高校を訪れた。同校では生徒たちが原爆投下当時に被爆した証言者から話を聞き、『原爆の絵』を描く取り組みを続けている。櫻井はそんな高校生の1人、猿田起之くん(17)とその祖父・信彦さん(84)に会い、被爆者が証言することの重さを改めて実感することになった。

5日放送の日本テレビ系報道番組『news zero』で、櫻井翔が広島を訪れたVTRとともに『原爆の絵』を描いた高校生との交流を振り返った。

黒こげになった遺体の上にトタン板がかけられている絵を描いた高3の女子は、「真っ黒に焼けてしまっていて、最初は人を黒く塗ることにものすごい抵抗を感じて難しかった」と話す。

猿田起之くんが描いたのは『流れ着いた棺代わりの木箱』で、証言者・末岡昇さんに聞いた話を絵にしたものだ。末岡さんが7歳の時に海辺で見た光景で、流れ着いた木箱には遺体が入っており隙間から赤い液体が染み出ていた。野戦病院があった近くの似島から流れ着いたのではないかという。

櫻井がこの日、11人の高校生に聞いたところ5人が末岡さんによる証言をもとに絵を描いていた。それだけ証言者が減っており、学校はこの取り組みがいつまで続くか分からないと懸念している。

そんななか、猿田くんの絵を見に来た祖父の信彦さんが数々の『原爆の絵』を見て「あんなもんじゃないですね…死んだもんがいっぱいおった」と当時のことを口にした。信彦さんは小学5年生の時に被爆したが、これまで家族に戦争の記憶を話すことはなかった。『原爆の絵』を見たことで思うところがあったのだろう。

櫻井が改めて信彦さんに「原爆投下後、当時の街の様子は?」と聞いたところ、「もう家のまわりはケガした人ばっかりで、死んだ人をどんどん運んで火を焚いてそこで焼いていた」と話してくれた。10歳だった信彦さんは、遺体を火葬場まで運んだと言い、辛そうにこう明かした。

「それが1人や2人じゃないですからね、何十人っていう死にかけた死んだ人がくるんですよ。」
「手のない人や足のない人や死んだ人やらそういう人ばっかり…。」

猿田くんも同席していたので、櫻井が「お孫さんに戦争について伝えたいことはありますか?」と確認すると、信彦さんは「ない…桁外れじぇけえ」と口を閉ざす。

祖父の思いを知って猿田くんは「なんて言えばばいいんでしょう、痛みを共有する8月6日は永遠に続いていくわけで、この歴史が何を伝えているのか、これからも考えていかなければ」との思いを強くしたようだ。

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