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【海外発!Breaking News】冤罪で32年服役した65歳男性、17億円超で和解成立も「奪われた年月は返ってこない」(米)<動画あり>

TechinsightJapan / 2023年5月8日 21時0分

「あの晩、子供たちが泣き叫ぶ声を聞き、救出しようと駆けつけたヴィクターさんは、トラウマを抱えて疲れ切っていた。それなのに当局はヴィクターさんを夜通し尋問し、『この書類に署名したら、帰宅できる』と言って1枚の紙を差し出した。」

「スペイン語が母国語のヴィクターさんは当時、英語をよく理解できないまま署名をし、そのまま手錠をかけられて拘留された。当局はヴィクターさんが建物に火炎瓶を投げ込んだと主張していたが、証拠は一切見つかっていない。あの頃は、火災現場に向かった警察や消防隊が『放火のようだ』と決めると、それから犯人捜しを行っていたのだ。」



さらにマーク氏は「ローウェル市には当時、放火捜査班が存在していた。そして彼らによって『この火災は放火である』と結論付けられた場合には、保険会社が保険金の支払いをしなくても済んでいた。放火捜査班が当時、保険会社から資金提供を受けていたことも明らかになっている」と指摘していた。

なお4児の父でもあるヴィクターさんは「子供たちが成長する最も大切な時に、一緒にいられなかった。それに最もつらかったのは、プエルトリコから刑務所まで会いに来た母に、自分が置かれている立場を説明しなければならなかったことだった」と語り、当時の母親とのやり取り、悲しい胸のうちをこのように明かした。

「母は英語を話すことができないのに、マサチューセッツ州の刑務所にやってきた。そして私に会うたびにこう聞いてきたんだ。『いつ帰って来るんだい?』とね。母には『終身刑で出られないから、分からない』と説明したけど、理解できないようだった。」

「そして2007年に母は亡くなった。母が最後に刑務所に来た時、『きっとこれが最後の訪問になると思うけど、いつ帰ってくることができるの?』と聞かれてね。母はその時、涙がこぼれそうな目をしていた。そうして母が面会室を出ていく後ろ姿を見た時、『ああ、これで母とは二度と会うことができない』と泣きたい気持ちでいっぱいだった。私は母の死に目に会うことさえできなかった。」

「ただ私がこれから前に進んでいくために学んだことは、『どのようにして人を赦すか』ということだった…。もし私をつらい目に遭わせた人を赦すことができないとしたら、私の人生は常に刑務所の中にあるのと一緒になってしまう。だから私は人を赦すことにした。自由になりたいからね。」

ちなみにヴィクターさんは、2014年に釈放されて以来、自分と同じように無実の罪で逮捕された人々を助けたり、刑務所から社会復帰できるようにサポートをしており、今後も活動を続けていくという。

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