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【エンタがビタミン♪】レッド・ツェッペリンが酷評された理由、メンバーの死による解散…ジミー・ペイジが赤裸々に語る。

TechinsightJapan / 2014年10月26日 21時25分

楽曲『天国への階段』はそんな4人の絆から生まれた。ジミーは「『天国への階段』の原案は私だが、みんながお互いに刺激を受けてできた」「この曲の構成や曲調をつかむために4人でかなりの練習をした」という。

1971年に初来日したレッド・ツェッペリンが日本武道館で公演を行った時、この楽曲は日本初披露だった。ジミーは日本のファンの反応を「最後にはとても盛り上がってくれたよ」と今でも覚えており、「あれこそが、新たなレッド・ツェッペリンの始まりだったんだ」と語る。彼はその時、『天国への階段』によって窮地から再起したことを確信したのだ。

その年、レッド・ツェッペリンは『天国への階段』をはじめ、『ブラック・ドッグ』、『ロックン・ロール』といった名曲を含む4枚目のアルバム『レッド・ツェッペリン IV』で米国歴代3位となるヒット記録を打ち立てる。あれほど酷評していた批評家も彼らを高く評価するようになった。『聖なる館』、『フィジカル・グラフィティ』、『プレゼンス』とリリースするアルバムは、どれもロックのお手本とされるほどとなった。

しかし、絶頂を極めたレッド・ツェッペリンを悲劇が襲う。1973年、喉に支障をきたして手術に踏み切ったロバート・プラントが75年に自動車を運転中に事故に遭って重体となる。77年にはロバートの声が回復の兆しを見せるが、その矢先に彼の長男がウイルス性感染症で亡くなってしまう。バンドはその後の活動を無期限で休止し、1979年にようやく復活コンサートを含んで4回だけライブを行った。1980年にはヨーロッパツアーを終えると、アメリカツアーへ向けてリハーサルを始めた。

1980年9月24日にリハーサルの後で、ジミー・ペイジ宅に集まってパーティーをした際に、ジョン・ボーナムは深酒をして酔いつぶれ、ベッドに寝かされた。翌25日にジョン・ポール・ジョーンズらが、ベッドで息を引き取ったジョンを発見。喉にものを詰まらせて窒息したのが死因とされる。レッド・ツェッペリンはジョン・ボーナムが亡くなった年の12月4日に解散を発表した。

ジミーはインタビュアーから自宅でジョン・ボーナムが亡くなったことについてどう思うかと問われて、しばし沈黙すると「君はどう思う? どうだろうか?」と問い返し「彼は血を分けた兄弟も同然だった」と語った。さらに彼は、ロック界にとってジョン・ボーナムの死は大きな損失だと続ける。ジョン・ボーナムが抜けて、代わりなどは存在しない。ジョン・ポール・ジョーンズの代わりも、ロバート・プラントの代わりもあり得ない。「4人そろってこそレッド・ツェッペリン」だと断言する。

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