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「5年前の実際の事件」思わせるセリフに物議も…興収10億円突破の劇場アニメにみる“作り手の覚悟”

女子SPA! / 2024年7月23日 15時46分

 そのことも鑑みたためか、1度目の修正時には、殺人犯のセリフは「オイ 見下しっ 見下しやがって! 絵描いて 馬鹿じゃねえのかああ!? 社会の役に立てねえクセしてさああ!?」となり、新聞の見出しは「『誰でもよかった』と犯人が供述して」となった。

 しかし、単行本での2度目の修正では、殺人犯のセリフは「オイ 見下しっ 見下しやがって! 俺のアイデアだったのに! パクってんじゃねえええええ」となり、新聞の見出しは「被告は『ネットに公開していた絵をパクられた』と供述しており」となった。今回のアニメ映画は、この2度目の修正にならったものになっている。

 つまりは、2度の修正を経て、初出時の統合失調症を連想させる文言は削除されたままの一方で、1度目の修正で削除された殺人犯のセリフの「パクられた」はむしろ強調される形で再び採用されたのだ。さらに1度目の修正時の「見下しやがって」は残るという、「折衷」的な内容に落ち着いたともいえる。

◆「無力感」を前提にしつつも意志・敬愛・鎮魂も示している

 この2度目の修正における公式からの声明は出ていないが、筆者個人としては「伝えたいことは、誰かを傷つける可能性があったとしても、はっきりと打ち出す」という作り手の覚悟を感じた。そうでなければ、京都アニメーション放火殺人事件を連想させる「パクられた」という文言は復活し得ないと思うからだ。

 さらなる根拠が、原作者の藤本タツキが抱えていた「無力感」だ。短編集「17-21」のあとがきで、藤本タツキは『ルックバック』を描いた動機について、東日本大震災直後に被災地のボランティアに行った時から無力感をずっと持ち続けており、「何度か悲しい事件がある度に、自分のやっていること(漫画を描くこと)が何の役にも立たない感覚が大きくなっていった」「そろそろこの気持ちを吐き出してしまいたかった」と語っているのだ。

 明言はされていないが、その「悲しい事件」の中に、おそらくは京都アニメーション放火殺人事件もあったのだろう。そして、『ルックバック』の物語は残された人がそれでも創作を続けていくという「意志」、またはクリエイターへの「敬愛」を強く感じさせるラストへと帰着する。決していたずらに実際の事件を想起させる作劇をしたわけではなく、現実で理不尽に命を落とした人への「鎮魂」の意図も込められているようにも思えたのだ。

 そのアプローチを救いだと思う人がいる一方で、反対に傷ついた人もいるのも事実だ。それは本作のみならず、実際に起こった事件や悲劇を作品に昇華させるクリエイターが苦悩する事柄だろう。

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