1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

「5年前の実際の事件」思わせるセリフに物議も…興収10億円突破の劇場アニメにみる“作り手の覚悟”

女子SPA! / 2024年7月23日 15時46分

 たとえば、2022年12月に放送されたNHKの『クローズアップ現代』のアニメ映画『すずめの戸締まり』の特集で、新海誠監督は東日本大震災を扱った同作について「創作には暴力性がある」「誰かを傷つけないよう、慎重に傷つく部分を避けて描かれた物語は、誰の心にも触れない」と重い言葉を告げていたこともあった。

◆「見下した」のはかつての主人公の姿でもある

 さらに、1度目の修正時に入れられ、漫画の単行本およびアニメ映画版でも残された殺人犯の「見下しやがって」には重要な意味がある。

 その理由のひとつが、かつての主人公の藤野もまた「見下して」いたからだ。彼女は小学生のときに「ちゃんとした絵を描くのってシロウトには難しいですよ? 学校にもこれない軟弱者に漫画が描けますかねえ?」とイヤな言い方をしていたのだが、その不登校の少女・京本の絵の上手さにショックを受け、その悔しさをバネに漫画に向き合い続け、さらにはその京本が自身の漫画のファンであったと知ると雨の中でスキップするほど嬉しく思い、ついには漫画家という職業についた。

 一時は他者を見下したこともあるものの、自身の努力と「ファンがいたこと」で創作を続けてきた藤野。そうすることができず、見下された(さらにパクられたと思いこんだ)ことが凶行の理由になっていた殺人犯。両者は「合わせ鏡」のような存在なのだ。

 このセリフがあったことで、創作は自身の人生に直結する「希望」にもなるが、誰かにとっては自分も他者も傷つける「呪い」にも転ずることもあるという、極めてシビアかつ残酷な問題提起がされているといってもいいだろう。

◆事件から5年が経ったその日に観た人たちからの投稿も

 劇中ではまるで「IF」のように「殺人犯による凶行を未然に防ぐ」様も描かれるが、現実では結局何も変わらない。京本は生き返ったりはせず、藤野は漫画に向かい続けるしかない。そこからも、本作は原作者の藤本タツキの「漫画を描いていても何の役にもたたない」という無力感を劇中に投影しつつも、それでも創作に向かい続けるという、やはり「意志」を描く作品だとわかるだろう。

 そして、先日の2024年7月18日、京都アニメーション放火殺人事件が5年が経ったその日に、アニメ映画版を鑑賞した人からの(複雑な心境も垣間見えるものの)「今日という日に観てよかった」「今日だからいろんな想いがこみ上げてきた」「あの悲劇を忘れない、二度と起こしてはいけない、祈りを込めて鑑賞」といったSNSでの投稿があった。そこからも「この作品が届くべき人に届けられて良かった」とも強く思うことができた。

 また、今回のアニメ映画ではエンドロールで「朝から夜まで変わる背景」を示すことで、本作が「アニメーションという創作物である」事実をメタフィクション的に示すという構図もある。『ルックバック』は2度の修正もさることながら、「漫画をアニメ映画にする」こと、さらには創作そのものの意義さえも、究極的に感じられる作品でもあったのだ。改めて、本作を作り上げたクリエイターたちの、その意志と覚悟を讃えたい。

<文/ヒナタカ>

【ヒナタカ】
WEB媒体「All About ニュース」「ねとらぼ」「CINEMAS+」、紙媒体『月刊総務』などで記事を執筆中の映画ライター。Xアカウント:@HinatakaJeF

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください