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朝ドラが同性愛を描くのは「思想の押し付け」の声も…『虎に翼』批判に頭が痛くなるワケ

女子SPA! / 2024年8月24日 8時44分

 差別意識からの困惑ではなく、正直な驚き。飲み込むのに少し時間がかかるだけ。ネット上の反応を一応確認しておくと、セクシャルマイノリティに対する現代の理解を昭和の時代にねじ込んだ思想の押し付け云々……。BL誤読はまだかわいいほうか。あたた、頭がいたくなる。

 でも少し冷静になろう。思想の押し付けか。そうか、そう感じる視聴者がいるのはわからないでもない。新民法草案や夫婦別姓など、本作は日本の現代史の諸問題の糸口を丁寧にひとつひとつ探してきた。長い対話を重ねるその間、ときに説明的になることは確かにあった。

 どれだけ政治的な作品であってももっと簡潔にメッセージを伝えることはできるかもしれない。話題を同性愛に限るなら、例えば同性愛者として戦後の世界映画史に名を刻むジョゼフ・ロージーは、『鱒』(1982年)の中で、「異性愛、同性愛といった区別はもうないの。あるのは、ただ性的かそうでないかの違いだけ」と極めて抑制されたフレーズに集約している。

◆上野という場所の意味

 では、毎週毎日放送される朝ドラにそれができないかというとそんなことはない。ある程度の説明はナレーションで補足しながら、(ロージーのような巨匠の演出力までは期待できないとしても)脚本を執筆する吉田の切実な迷いが主人公たちの台詞として生々しく結実している。今回の同性愛描写のテーマになった途端、政治的な思想の押し付けと一言で片付けるのは卑怯ではないか。

 第一、作品とは製作される時代の視点から眼差し、解釈するもの。その解釈を押し付けととるかは受け手の自由だが、でもいつの時代も同性愛は当事者にとってアクチュアルな問題なのである。轟の弁護士事務所は、戦前はよねが働くカフェだった。その名残がある内観のソファを轟が恋人との憩いの場にする光景は、何ともメルヘンではないか。

 上野という場所にもちゃんと意味がある。上野は戦後、男娼の街だった。昭和23年の上野を舞台にした唐十郎作『下谷万年町物語』が詳細に記す通りである。マイノリティたちのコミュニティとして上野が機能していた時代があったのだ(現在でもゲイバーが多数ある)。

「裁判官としても人としても私に見えてない世の中のこと、もっと知りたいの」と言った寅子を轟が「仲間たち」との会合に招待するのが、第103回。性転換手術(現在は性別適合手術と呼ぶのが適切)を受けて女性になったと語る山田(中村中)は、「私たち、上野の街にはお世話になってるから」と含みをもたせて言う。

 自分を偽ることをやめて妻と離婚した千葉と一緒になった秋田を演じる水越とものりは現実にゲイの当事者である(中村中はトランスジェンダー)。ドラマの世界で当事者が当事者を演じることの社会的意義は強調しなければならない。

 そして会合の終わり際、航一が婚姻届を出さない結婚の形を寅子に提案するのは、日本の法律上に定められていない同性婚の実情をあまりに痛切に射貫く提案だ。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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