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「ラーメンは苦手」尊富士の身体を作った、“たらの子あえ”に“鮫のすぐめ”おばあちゃんのチカラ飯

週刊女性PRIME / 2024年4月3日 5時0分

3月24日、優勝を決めて賜杯を手にする尊富士と、チケットが取れずに終了後の支度部屋で対面した母親の石岡桃子さん(右)

 相撲界に久々の大スターが誕生した。春場所で優勝した尊富士(たけるふじ)が大記録を打ち立てたのだ。

「新入幕で初優勝というのは、110年ぶりの快挙です。大正3年以来ですから、歴史的な記録。殊勲賞、敢闘賞、技能賞の三賞も同時に受賞。これは新入幕としては51年ぶり。青森県の五所川原出身力士の優勝は、昭和9年以来の90年ぶりです」(スポーツ紙記者、以下同)

相撲界のNEWスター・尊富士

 尊富士は、五所川原市金木町出身。太宰治の生家があることで有名だ。

「吉幾三さんの出身地でもあります。学生横綱で日本大学の元理事長だった故・田中英壽氏も同郷ですね。尊富士の祖父は、田中氏と同学年で相撲が強かったのですが、身長が規定に足りず、大相撲入りを諦めました。夢を孫に託し、保育園のころから稽古をさせたそうです」

 小学6年生から隣町の相撲道場『つがる旭富士ジュニアクラブ』に通うように。

 恩師の越後谷清彦監督に当時の尊富士について聞いた。

「厳しく教えていましたから、今でも私のことは怖いと思っているかもな(笑)。絶対に強くなるっていう確信がありました。負けん気の強さがずば抜けていましたよ。でも、後輩の面倒もよく見る子でした。中学生になってからは一気に伸びましたね」

 当時は、プロの力士になると考えていなかったという。

「高校3年のとき、伊勢ヶ濱親方と面会して、入門を断っていました。“大相撲には絶対に行きません”って。決心したのは大学4年のときじゃないかな。

 ウチは大相撲に入るための養成所ではないので、気持ちよく鍛えるというやり方です。ただし、彼はいわゆるエリートではないけれど、エリートと同じくらいの実力があると、私は気づいていました」(越後谷氏、以下同)

 越後谷氏の2年先輩にあたる伊勢ヶ濱親方は毎年、青森に合宿にやって来て、尊富士に声をかけていたという。

 '22年、『伊勢ヶ濱部屋』に入門して初土俵を踏む。スピード出世をして、'24年3月場所で新入幕を果たす。

 14日目、朝乃山との一番に敗れて右足を負傷したが、千秋楽では前に出る相撲で押し切った。

「私は、前に出ろ、土俵を走れ!って、よく言ってたので。でも、教えたからというより、本人の努力でしょう」

苦手なものはラーメン!? 愛され尊富士

 尊富士の弱点も聞いてみた。

「苦手なのはラーメン。何でも食べるのにラーメンだけは食べなかった(笑)」

 東京の錦糸町駅に近い伊勢ヶ濱部屋の周辺では、よく飲食店に出入りしていた。

「尊富士さんは、何度か先輩の弁当を買いにおつかいで来ていました。でも、下積み時代はすぐに終わって、今はもう来ていないですね。力士は寡黙な人が多いけれど、彼はニコニコしていて、人当たりがいいですよ」(部屋近くの弁当店店員)

 気さくな人柄で評判がいい。

ニコニコして、よく話すし、どんどん注文して、たくさん食べてくれましたよ。ほかの入ったばかりの人はおとなしいから、彼は印象に残っています」(お好み焼き店店員)

 伊勢ヶ濱部屋のある町内会の会長、松島憲二さんも、尊富士の人当たりのよさを褒める。

「愛想がいいし、素直なんです。先輩から言われたことをプラスに受け取るのがいい。

 先場所で十両優勝したときは、近所の一軒一軒に顔を出してね。周りから好かれなきゃダメだと私も言っているんです。稽古ではバシバシ音を立てるわけだから、近所から嫌われたらダメだって」

 愛されキャラの尊富士だが、気がかりなことも。

「体格のわりに足首が細くて心配でした。親方も無理はさせたくないようでしたが、痛み止めを打って勝ったからね。人がいいだけじゃなくて、鬼にもなれる。これから研究されて壁にぶち当たることもあるでしょうが、彼ならまだまだやれるでしょう」(松島さん)

 尊富士は高校・大学時代にアキレス腱断裂などのケガが多く、思うように活躍できなかった。でも、松島さんの妻である町内会長夫人は、尊富士の前途を楽観している。

「部屋に来ているマッサージ師さんが言っていたんだけど、彼の身体は全身がバネだって。あと、部屋のおかみさんは決断力があるし、人をよく見ている。どんな若手でもよく見ていて“頑張ったね”“もう少しだね”って声をかけて。全員の誕生日を把握して、ねぎらいの言葉と一緒にプレゼントを渡すんだって」

おかみさん、行きつけの店、祖母の洋子さんに話を聞いた

 伊勢ヶ濱部屋を訪ねると、力士や親方は大阪から戻っていなかったが、おかみさんが忙しそうに出てきた。尊富士の活躍の裏に、おかみさんの尽力があるとの話を伝えると、

「とんでもないです」

 と言って立ち去ろうとしたところに、「弟子たちにバースデープレゼントを渡すそうですね」と声をかけると、

「えっ、なんで、そんなこと知ってるの?」

 と言いながら笑顔で部屋に戻っていった。

 行きつけの焼き鳥店『ひげの平山』の平山大二郎さんは、尊富士が陰で努力していることを知っている。

「初めて会ったときから、ほかの相撲取りとは身体が違うと思いましたね。プロレスラーみたいでしたよ。

 彼は稽古が終わるとウエイトトレーニングのジムに通っているんです。上半身はとにかく筋肉が厚い。まるで冷蔵庫。よく研究もしていて、食事しながらスマホで自分の取組の動画を見ています」

 2年前に部屋に入ってから、毎月来ているという。

「優勝が近づくと緊張しない?と聞いたら“自分はしないんです。まったく緊張したことがない”って(笑)。酒は飲まずに、ひたすらコーラ。験担ぎで、大きなおにぎりを食べていくんですよ。焼き鳥やほかの料理を食べた後に、締めのおにぎりなんです」(平山さん、以下同)

 尊富士はラッパーのAK−69のファンだというが……。

「いつもイヤホンして来ますね。社交的で、ほかのお客さんと話したり、一緒に写真を撮ったり。常連の女性客から“彼女いるの?”と聞かれて“いないよー”って答えていました(笑)」

 地元の五所川原に帰郷する前日、店でこう話したという。

「とにかくおばあちゃんのごはんが大好きで、実家に帰ったら外に出ないって。すごくおばあちゃん子みたい。かわいい一面もありますよ(笑)」

 どんな料理が好きなのか。祖母の工藤洋子さんに電話で聞いてみた。

「名物の馬肉のみそ煮が好きです。本来は高菜とか野菜も入れますが、肉の味がハッキリしたものが好きなので、入れるのはナスぐらい。ピリッとした味ですね」

 ラーメンはもちろん、カレーやパスタも食卓に出ない。

「帰ってきたときはナマコとか、東京では食べられないものですね。やっぱり鮮度が違うからか味が全然違うって。この辺りではどこでも作っているようなものだけれどね。ニンジンや高野豆腐を入れた“たらの子あえ”もよく作ります。鮫の頭を酢の物にした“鮫のすぐめ”も好きですよ」(洋子さん)

 尊富士のパワーの源は、おばあちゃんの手料理だった。地元に帰ってゆっくりケガを治したら、来場所もきっと活躍してくれるはず!

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