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国が初めて「女性暴力団員」として認定、元女ヤクザ・“指落としの名人”から社会貢献の道へ

週刊女性PRIME / 2024年5月10日 11時0分

元女ヤクザ西村まこさん 写真提供/西村まこさん

「ヤクザ」と聞いて、多くの人が“男の世界”を思い浮かべるだろう。実際、任侠の世界の女たちは表に立たず、男たちを陰で支えるのが常だ。

女ヤクザと呼ばれて

「私は女ですが、杉野組の杉野良一親分の盃を受けた、れっきとした組員でした。杉野の親分から『まこちゃん、女でもいいからヤクザをやれ』と言われて『やります』と即答。杉野の親分には、私が傷害事件でパクられたときにお世話になった恩義もありましたからね」

 20歳でヤクザの世界に飛び込んだ西村まこさんは、当時をそう振り返る。

「杉野組に入ることが決まると、私の母は組の事務所に挨拶に行ったそうです。相手がヤクザの親分とは知らず『これから娘がお世話になります』と頭を下げたとか。後に『お母さんが行ったのはヤクザの事務所で、挨拶をしたのは杉野の親分だよ』と教えたところ、とても驚いていました(笑)」

 西村さんいわく、女ヤクザと極道の妻はまったく異なる存在だという。

「極道の妻は“姐さん”として、組の若衆の食事を作ったり、身の回りの世話をするのが仕事です。一方、“女ヤクザ”の私は女とついているだけで、実態は男のヤクザとすべて同じ。紋付袴を着て盃を受けたその日から、若衆たちと一緒に“部屋住み”が始まりました」

 部屋住みとは、ヤクザの下積み修業期間を指す。この期間は組事務所や組長の家で生活を送り、幹部の世話、事務所の掃除、組長の飼い犬の散歩などの雑用をこなすという。

「部屋住み時代は男と交ざって雑魚寝が当たり前。私はずっと格闘技をやっていて、学生時代からケンカざんまいだったので、襲われても負けない自信がありました。そもそも女扱いされていないので、襲われる心配もなかったですね。逆にいえば“女だから”という理由で大目に見てもらえることもありませんでした」

“ヤクザ”だからこそ指詰めも体験する

 ヤクザとしての活動は、借金の債権回収やシャブ(覚醒剤)代の取り立て。かつて“売春島”と呼ばれていた三重県にある渡鹿野島に女性を売るなど「女のシノギ」にも関わった。

 さらに、組織に入って間もないころに“指詰め”も経験している。

「杉野組は建前上、シャブが禁止されていましたが、実際には薬物中毒ばかりで主なシノギはシャブ屋。しかし一度、組員のシャブ乱用が親分にバレたときは私が代表して指を詰めることになり、その日のうちに日本刀で左手の小指の先を落としました」

 以来、彼女は“指落としの名人”となり、ほかの組員からも小指落としを依頼されるようになったというから驚きだ。

「指を詰めてヤクザとして箔がつきましたが、残念だったのは“レース編み”ができなくなったこと。実は、少年院時代にレース編みを習得して院内で金賞をもらうほどの腕前だったんです。でも、小指がなくなってからはレースがうまく編めなくなってしまって……。そのとき初めて『ケッ』と思いましたね」

 意外なきっかけで小指の大切さを知った西村さんだった。

「そんな毎日でしたから、自分の性別は意識せずに生活していました。でも、覚醒剤所持で刑務所入りし、2年6か月の懲役をつとめた際に、仮釈放をもらうため『ヤクザの脱退届』を書いたのですが、私が世にも珍しい女ヤクザだったせいで余計な時間がかかってしまったんです」

 刑務官に何度も「脱退届」の書き直しを要求され、最終的に「あんたが日本初(の女ヤクザ)だから、こんなに時間かかるんよ」と嫌みを言われたという。

「そのとき初めて『女のヤクザはいないんだ』と知りました。釈放されるときも、刑務所の門前に杉野組組員が2列に並び、出所した私に向かって『お疲れさまでした!』と一斉に頭を下げたんです。

 男子刑務所では、見慣れた放免風景かもしれませんが、女子刑務所ではなかなかお目にかかれません。女性の所長も『こんな光景は初めて見た』と慌てていました」

 日本初の女ヤクザとして、あらゆる悪事を重ねてきた西村さんだったが、現在は稼業から足を洗っている。

「結婚・出産を機に、一度ヤクザ稼業を離れましたが、40代後半で再び古巣の杉野組に戻りました。でも、昔のように筋の通ったヤクザはほとんどおらず、ただの“詐欺集団”に成り下がっていたので、すぐに辞めたんです。

 仁義もクソもない、現代のヤクザには何の未練もありません。ただ、ヤクザから足を洗っても、私の素行の悪さを嫌っている息子たちからは距離を置かれています。寂しいですが、親に似ず、まじめに育っている証拠なので無理に会おうとは思わないですね」

 親子関係は十人十色。いずれ雪解けの時が訪れるかもしれない。

居候の元ボクサーに殺されかけたことも

 先日、そんな彼女の波乱の半生を綴った自叙伝『「女ヤクザ」とよばれて』(清談社Publico)が上梓され、大きな話題を呼んでいる。発売に至った経緯とは?

「現在、私が所属しているNPO法人・五仁會の竹垣悟会長に、本の執筆を提案されたのがきっかけです」

 五仁會は元暴力団員や元受刑者、元非行少年などの自立と就労支援を通して、犯罪減少と地域社会の安全を目指すNPO法人。竹垣さんの姿勢に共鳴した、西村さんをはじめ元暴力団員で服役の経験がある3人が立ち上げた。西村さんは同会の広報部長兼岐阜支局長を担っている。

「'17年ごろから、個人的に昔の仲間や居場所がない人の面倒を見ていたのですが、居候の元プロボクサーに殺されかけたこともあり、1人で活動する難しさを感じていました。

 そんな矢先、竹垣会長と出会い、五仁會の活動を知ったんです。四代目山口組・竹中正久親分の元側近を務めたほどの人が、地域のために額に汗して街の清掃活動をする後ろ姿に胸を打たれました」

 彼女は、竹垣会長との出会いについて「更生するラストチャンスだ」と感じたそう。その後、竹垣氏に五仁會・岐阜支局の立ち上げを快諾してもらい、本格的に活動を開始した。

「岐阜県の夜の街・柳ヶ瀬にある『ロアビル』が、五仁會岐阜支局の拠点です。ロアビルには、前科がある人や薬物中毒、ひきこもりなどさまざまなワケアリの人が住んでいるので、トラブルは日常茶飯事。

 しかし、立ち上げメンバーのひとりであり、ロアビルの管理人を務める藤本好道さんは人生経験が豊富なので、どんなトラブルにも動じません。また、もうひとりのメンバーで人材派遣業を営んでいる青山佳寿生さんは、刑務所から出て、働く場所のない人たちの就労支援もしています。

 つい最近も支局に因縁をつけてきた人間がビルに乗り込んできましたが、全員肝が据わっているので冷静に対処できました」

 最後に西村さんは「行き場のない人々の“よりどころ”になりたい」と希望を語る。

「現在の活動を通して薬物依存の専門家に話を聞く機会があり、薬物依存症の人は常に不安や孤独を抱えている事実を知りました。薬物から抜け出すには社会とのつながりが必要なんです。

 実際に『クスリよりも五仁會の活動のほうが楽しい』と話してくれる会員もいて、やりがいを感じています。これからも岐阜支局が、彼・彼女たちの“居場所”になれるように頑張ります。もし、次回作が出せるなら“ロアビルの危険な日常”を一冊にまとめたいですね(笑)」

 元女ヤクザ・西村まこのカオスな日々は続く──。

西村まこ●1966年生まれ、愛知県育ち。NPO法人「五仁會」広報部長兼岐阜支局長。日本で初めて国に「女性暴力団員」と認定される。現在は元ヤクザの更生や社会貢献活動に力を注いでいる。「まこ」は通称で、「悪魔の子」が由来。

『「女ヤクザ」とよばれて』清談社Publico(税込み1870円)
国が初めて「女性暴力団員」と認定した西村まこの半生を綴った一冊。ケンカに明け暮れる不良少女時代を経て飛び込んだのはヤクザの世界。ケンカ、恐喝、拉致監禁に管理売春――あらゆる悪事に手を染めた彼女が踏み出した、更生への道とは。

取材・文/とみたまゆり

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