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日産シルビアにロータリーエンジン、なぜ市販目前で発売中止に!? お蔵入りした幻のクルマ5選

くるまのニュース / 2019年3月27日 6時10分

新型車の開発には、100億円単位のお金と何年もの時間をかけて行われます。したがって市販化するには慎重に検討を重ねて行ないますが、なかには市販目前で発売が中止されたモデルもあります。そんな残念な結果になったモデル5車種をピックアップして紹介します。

■時代の流れで発売が中止になったモデルたち

 自動車メーカーは莫大な時間とコストをかけて、新型車の開発を行なっています。そして商品として魅力があり、長くたくさん売れるクルマを目指すことが必須条件です。

 実際に市販化するまでは幾度かの試作車を作り、デザインやメカニズムを煮詰めて行きますが、極稀に諸事情により市販化一歩手前で開発が延期、凍結、中止されるケースもあります。

 そこで、市販目前で発売が中止されたモデル5車種をピックアップして紹介します。

●ホンダ「スポーツ360」

国の方針に翻弄された「スポーツ360」

 1962年、第9回全日本自動車ショーのホンダブースに、赤い小さなオープンカー「スポーツ360」が展示され、大いに注目を浴びます。

 ほかに軽トラックの「T360」と「スポーツ500」が展示され、どれかがホンダ初の4輪車になることが決まっていましたが、結果T360がホンダ初の4輪車として発売され、続いて「S500」を発売。スポーツ360は発売されませんでした。

 理由は、国が主導して国際競争力強化のために自動車会社の再編を行ない、統廃合や新規参入の制限をするという法案(特定産業振興臨時措置法案:特振法)の施行が迫っていたため、ホンダは軽自動車だけでなく普通乗用車の発売が急務だったからです(仮に軽自動車のみ発売していたらホンダは軽自動車専売メーカーになっていた)。

 結局、特振法は廃案となりますが、スポーツ360は発売されることなく幻のモデルになってしまいます。

 その後のスポーツ360は行方不明に。そこで、ホンダの有志によりスポーツ360の復刻プロジェクトが立ち上がり、東京モーターショー2013での展示に向け動きました。

 復刻にあたり図面も一部が失われたなか、T360のDOHC直列4気筒エンジンを流用し、ボディも一部残っていたパーツ以外は新規で制作。写真やOBの証言などをつなぎ合わせ、完成に至ります。

 こうして復刻したスポーツ360は東京モーターショー2013のホンダブースで「S660コンセプト」と共に壇上に展示され、再び来場者の注目を浴びることになりました。

●日産「シルビア ロータリー」

オイルショックがなければ実現していただろう「シルビア ロータリー」(画像は市販したシルビア)

 ロータリーエンジン(以下、ロータリー)というとマツダが世界で初めて量産化に成功し、これまでに数々のロータリー搭載車を販売してきたのは、周知の事実です。

 しかし、かつて国内外の複数メーカーが、ロータリーの量産を目論んでいた時代があります。なかでも日産は2代目「シルビア」に搭載予定で、発売目前まで開発が進んでいました。

 1972年の東京モーターショーの日産ブースに、当時販売していた2代目「サニー」にロータリーを搭載したコンセプトカーが展示され、ロータリーの開発が進んでいることをアピール。

 このサニーは走行テストが繰り返され、当時の自動車雑誌に向け試乗用に貸し出すなど高い完成度を誇っていました。

 しかし、1973年の中東戦争に端を発したオイルショックを受け、日産は省燃費ではないロータリーの開発を凍結。

 シルビアはオーソドックスな4気筒のレシプロエンジンを搭載して発売され、その後、日産によるロータリーの開発は復活することはありませんでした。

●ヤマハ「OX99-11」

まさにバブルを象徴するようなマシン「OX99-11」

 1989年、ヤマハはそれまでF2やF3000にレース用エンジンを供給してきた実績を引っさげ、F1に参戦します。そして、翌1990年には3.5リッターV型12気筒の「OX99型」エンジンを開発。

 バブル景気の絶頂期であった当時、ヤマハはこのエンジンを搭載したロードゴーイングカーを企画し、1991年に「OX99-11」を発表します。

 OX99-11はカーボン製シャシに公道走行用に改良されたF1エンジンを搭載。フォーミュラーマシンとほぼ同じ構成のシャシに、レーシングカーデザイナー由良拓也氏のデザインによるボディをまとい、シートは前後に2つ並べてレイアウトされるなど、それまでにない斬新なスーパーカーに仕立てられていました。

 ヤマハは1994年の発売を宣言し、イギリスでの生産も決まっていましたが、日本におけるバブル崩壊と世界的な経済変動の影響を受け、販売を断念。

 現在、OX99-11はヤマハにより動態保存され、イベントやカーショーでその姿を見ることができます。

■財務状況から中止という経営判断が下された例

●ホンダ「HSV-010」

あと一歩で幻のクルマとなった「HSV-010」(画像はスーパーGTレース仕様)

 ホンダが誇るスポーツカー「NSX」は1990年に発売され、2005年に生産を終了しました。その後継車として日本でも『アキュラ』ブランドのスポーツカーを、2010年に発売すると発表し開発が進められました。

 新型スポーツカーはかつてのF1をイメージさせるV型10気筒エンジンをフロントに搭載。リアタイヤを駆動するFRを基本とするAWD車でした。

 ホンダは国内でアキュラの開発体制を強化する目的で、新たな研究開発施設を作る計画も発表していましたが、2008年にリーマンショックが起こり、世界規模で景気が悪化。

 これを受け、ホンダは急遽アキュラブランドの日本展開を中止し、同時に新型スポーツカーの開発も凍結します。

 こうして市販されなかった新型スポーツカーですが、2010年に「HSV-010」の名で「スーパーGT」レースに参戦します。NSXの販売が終了していたため、レース参戦のためのベース車両がない状況を打開する苦肉の策ともいえました。

 その後、2016年に新型NSXが発売されたことで、HSV-010の市販化と日本のアキュラブランド展開は、幻に終わることになります。

●日産「MID4/MID4 II」

当初は完全なスタディモデルだった「MID4」

 日産「MID4(ミッド・フォー)」は、研究開発の成果をモーターショーの場で発表することも目的とした実験車両で、1985年に発表されました。車名はエンジンをミッドシップに搭載した4WDのスポーツカーを意味しています。

 このMID4の発表から2年後、1987年の東京モーターショーに、より市販化を意識して進化した「MID4 II」を出展。

 エンジンは最高出力330馬力のV型6気筒DOHCツインターボの「VG30DETT型」を縦置きに搭載し、サスペンションはフロントにダブルウイッシュボーン式、リアには操舵機構「HICAS(ハイキャス)」付きのマルチリンク式を採用していました。

 内外装の仕上がりはいつ市販化されてもおかしくないほどのクオリティで、実際に市販化に向けた検討が行われていましたが、実現には莫大な開発費用と工数が必要だった(1987年当時、好景気ながら日産の財務状況は悪化)ことから、結局、MID4の市販化を断念する経営判断が下されます。

 ファンの期待に反して市販には至らなかったものの、MID4の開発で確立した技術の多くは、1989年に発売された4代目「フェアレディZ」や「スカイラインGT-R」などで活かされました。

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