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「落合陽一氏 個展」記者発表・内覧会を開催!

共同通信PRワイヤー / 2024年9月10日 15時30分

江戸という人工都市の宗教的空間を考えると神社や寺院の配置、祭りの構造、江戸発祥の文化がどう織りなされているかが気になった。陰陽五行と聖獣と仏を扱った展示を京都の醍醐寺で行ったことがあったから、江戸中央の下町空間に対応するのは土用か黄龍か麒麟かな、とイメージしながらリサーチに入った。最初の企画書にはなんとなく麟の絵を用いた。麒麟は八重洲エリアによくあるモチーフである。その後、鮨、鰻、祭,火消のリサーチと繰り返す中でうなぎが黄龍と合体した鰻龍(うなぎドラゴン)のイメージが湧いてきた。古語でナガ・ナギは蛇を指すという。現代の表現を考えたとき、ウ・ナギも蛇かもしれないし、龍神宿仰に近いと考えても良かろう。昼夜のサイクルを展示に組み込んだ展覧会を構成できないかとこの頃考え始める。

故六合之内常闇而不知畫夜之相代(故(かれ)、六合(くに)の内常闇にして、昼夜の相(あひ)代(かはるわき)も知らず。天照大神が天岩戸に入ったときに世界が暗くなったという記述がある(古事記にも同様の記述がある)。昼夜の相代も神と仏とともにある。昼夜が常に切り替わってサイクルを作る。そんな展示は如何だろうと思っているうちに「鰻龍」に相対させる御神体をヌルの御神体として構成することにした。ヌルの神様はどこにおわすのか。古事記の最初に登場する天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が存在の神様だとするならばヌルの神様も近くにいらっしゃるのかもしれない。空の概念を計算機自然のヌルとするならばヌルの神様は神仏習合から生まれるかもしれないので、そんな神境を構築することになった。鰻龍は坐禅を組み、そういうことでヌルの御神体は古来からある三角縁仏獣鏡である、芸術も祭も伝統も信仰も現在のものである。現在は常に更新され、常に表現も表象も文脈も変わり続ける。メディア芸術のメディアは常に変遷し、あるときは鮨屋にあるときは鰻屋に、あるときはブラウン管やレーザーになることもあるだろう。計算機自然における言仰はオブジェクトに刻印された霊性のようなものでもある。芸術はホワイトキューブの中に分断されたものでなく、生活に連結されたものだ。戦後の住宅事情で日本は芸術からの距離が遠まったかもしれない。芸術は常にそこにあり、味わい深く、意味や現象を混ぜて連環させ続けるものである。この展覧会の中で各々その人生の旅路を感じていただければ幸いである。最後にこの展覧会を作るために関わって下さった多くの人々に最大の感謝を述べたい。ありがとうございました、そしてこれからも共に生きていきましょう。

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