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ブルース・リー『燃えよドラゴン』が『仮面ライダーアマゾン』に与えた影響とは?

マグミクス / 2023年8月26日 7時10分

ブルース・リー『燃えよドラゴン』が『仮面ライダーアマゾン』に与えた影響とは?

■ブルース・リーの「ドラゴン旋風はライダーシリーズにも大きな影響を与えていた

『仮面ライダーアマゾン』の放送が開始された1974年は、前年1973年12月22日に『燃えよドラゴン』が公開されて大ヒットし、そこからブルース・リーの以前の主演作が続々と上映されて、日本中に「ドラゴン旋風」が巻き起こっていました。そういった背景から、『アマゾン』も企画や演技の面で多大な影響を受けています。ブルース・リーの映画は、アマゾンライダーにどんな変化をもたらしたのでしょうか?

 1974年10月まで続いた前作『仮面ライダーX』は視聴率で苦戦し、1年を待たず放送が終了します。対象年齢を上げて「メカニック性」を強調したことが視聴者に受け入れられなかったようです。そこで今度は、真逆の原始的な荒々しさを持つ世界観を追求しました。

 そして採用されたのが、『燃えよドラゴン』に続いて公開された『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』などのブルース・リーのカンフー映画の要素の融合です。すでに「ドラゴンブーム」はあちこちに飛び火しており、香港のカンフー映画で活躍していた倉田保昭さんが逆輸入される形で主演するアクションドラマ『闘え!ドラゴン』も1974年7月から放送されていました。

『仮面ライダー1971~1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』(講談社)によると、元東映の平山亨プロデューサーの企画書には、『仮面ライダーアマゾン』の主人公は「ドラゴンライダー」と明記され、武芸の達人・リュウが旅の行く先々で敵を倒していくという展開が描かれていたとのことです。

 一方、仮面ライダーの生みの親である石森章太郎先生は、1974年に公開されたディストピアを描く近未来SF映画『未来惑星ザルドス』に触発された世界観を構築します。そして、主人公はターザンのような野生児と設定され、ブルース・リーの映画の要素とはまた違うものとなりました。

 ただ、ブルース・リーの影響はここで終わりません。アマゾンこと山本大介を演じた岡崎徹さんは『燃えよドラゴン』を6回映画館に見に行き、ブルース・リーの演技をアマゾンの役作りに取り入れ、野性味あふれる動きと鬼気迫る表情を自分のものにしました。

 ちなみに岡崎さんへのインタビューが収録されている『証言!仮面ライダー 昭和』(講談社)によれば、パンツ1枚の半裸状態での撮影はブルース・リーも上半身裸で戦っているため、恥ずかしくなかったそうです。やがて撮影中盤の冬場になると、半裸では厳しくなってベストを着用することになりました。

 岡崎さんはさらに、できるだけ変身せずに生身のままで怪人と戦い、血を流す場面を作るよう監督に提案します。決して出番を増やして欲しかったのではなく、「血を流しながら、戦うことで敵の強さや、主人公の危機を表現したかった」そうです。

 もっとも危険だったのは、アマゾンライダーのバイク「ジャングラー」の操縦です。野生児のアマゾンがヘルメットを被るのは不自然なため、ノーヘルで撮影に臨みました。そのため吹替えもできないので、ノースタントで操縦しています。

 当時、岡崎さんは1号ライダーの本郷猛を演じた藤岡弘(現・藤岡弘、)さんの事務所に所属していました。藤岡さんがバイク事故の大怪我で1971年の『仮面ライダー』を長期離脱したのは有名な話です。

 前述の『仮面ライダー1971~1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』によると、岡崎さんは藤岡さんから「危険なことは絶体にするな、断れよ」と忠告を受けていたにもかかわらず、どんな危険なシーンでも引き受けてしまったのでした。

『仮面ライダーアマゾン』は岡崎さんの熱演の甲斐もあって視聴率も好調でしたが、放送局の編成の都合で24回で放送が終了します。ブルース・リーの映画と同様に『仮面ライダーアマゾン』は短い本数ですが、視聴者に強烈な印象を残しました。

(LUIS FIELD)

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