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『シャーマンキング』の武井宏之氏と「もの作り」を語り合った、90年代上京後の日々

マグミクス / 2020年6月3日 19時10分

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■メカを描く才能にも恵まれた武井氏

 マンガ『シャーマンキング』作者の武井宏之氏と筆者は、ともに青森から上京した後も親交を深めながら、もの作りについて語り明かしたものでした。前回の記事(高校時代)に続き、おそらく初めて語られるであろうエピソードをご紹介します。もちろん、執筆にあたり本人の許可をいただいていますよ!(笑)

 武井氏は上京後、アルバイトをして生活していました。そこに翌年、浪人していた筆者が受験のために1か月も転がり込んだことが、少なくとも筆者には人生の転機となりました。その時の話は枚挙に暇がないので、いつかご紹介しようと思います。例えば、彼のバイト先や近所に住むバイト仲間のアパートが「出る」ところだった……とか。

 ひとつ当時の話をすると、とある模型誌の投稿イラストコーナーに武井氏が何の気まぐれか、ガンダム(GP-01)の絵を送り、常連がひしめき合う中、初応募で1位に輝いてしまったことがありました。筆者が転がり込んだときにその本を見せてくれたのですが、後を続けずそれきりだと言うのです。もったいないとは思いましたが、あまりそういう欲の強い性格ではない武井氏らしいエピソードのひとつです。

 筆者の記憶では、彼はどちらかと言えば人物よりもメカを描く方が好きで、立体のとらえ方が秀逸でした。幼い頃からブロックやプラモデルを触っていたからだと言っていましたが、それを言うなら筆者もそうだったんですが……やはり才能というものは存在するようです。

 筆者はその後専門学校に落ち着き、武井氏も引っ越しをし、それぞれの新しい生活が始まりました。が、それからも筆者は武井氏のところに一度遊びに行ったら1週間は帰らないという、迷惑な生活をしていました。お互い遠いところに住んでいたというのもありますが、とにかく一緒にいることが楽しくて仕方がなく、もの作りのことをずっと語っていた気がします。そういう仕事に就くことが共通の夢でした。

 実際に、ふたりでマンガを制作したこともあります。それは某ゲーム誌に応募するためのものでしたが、当時武井氏が師事していた先生に、「マンガ家になるのが夢なら妥協せず普通のマンガ雑誌を目指せ」と諭され、お蔵入りになりました。

■『シャーマンキング』につながる決定的な「気付き」

武井宏之氏がかつて模型誌にイラストを応募した、RX-78GP-01 ガンダム試作1号機。画像はバンダイ スピリッツ「RG 1/144 RX-78GP01 ガンダム試作1号機 ゼフィランサス」

 そして、その後に描いた作品で――これも語り合いの末に生まれたものでしたが――武井氏は決定的なことに気付きます。実は大したことでもないのですが、「自分で気づいた」ことが重要なのです。これがあったから、後の手塚賞佳作受賞作品『ITAKOのANNNA』(シャーマンキング完結版第27巻収録)が生まれたと言っても過言ではなく、その後の作品……もちろん『シャーマンキング』も、根本のロジックは同じです(ですからその「気づき」が何だったのかは書きません)。

 こうして、武井氏はマンガ家としての道を歩み始め、筆者はゲーム業界に入り、音楽や効果音を作る仕事に就きました。初めてエンドクレジットに名前が載ったときの感動は今でも忘れられません。これは筆者にとって手塚賞受賞に等しいもので、お互い夢が叶ったわけです。この喜びが、その後のモチベーションになりました。

 実は、武井氏は苦労時代に筆者が在籍していた会社を受けに来たことがあり、この時も「ブレずに夢を追え」と社長に諭されていたようです。これは小さなエピソードですが、今回ふたりの想い出話を書くということを武井氏にしたところ、いろいろ出てきたなかにこの話がありました。事の大小ではなく、何かが彼の心に大きく響いた一件だったのでしょう。

 あれから20年以上。武井氏は一線級のマンガ家となり、筆者もシナリオライターに転向しましたが、ゲーム作りには携わり続けて、少しは名前を知られるぐらいにはなりました。同じ高校出身で上京し、夢を語り合い、それが叶った上、現在もこうした仕事ができていることは幸せです。

 そして今、一緒の仕事に携われたわけですから、これまでの経験を生かし『シャーマンキング』を、武井氏の作品を大いに盛り上げていきたいと思っています。

 最後に……数年前、武井氏が高校の同窓会のために武井氏に描いてくれたポスターをお見せします。恐山アンナが南高の制服を着てたたずむ、冬の風景です。これで吹雪になると、前回の記事(連載第4回)で紹介したように、アンナは半分真っ白に凍ってしまうわけです(笑)

 しかし今の南高にその面影はまったくなく、田んぼは全て住宅地となりました。ポスターには、当時の筆者たちの想い出が詰まっています。この絵は大判に出力して学校に寄付したのですが、さて、あれは一体どうなっているんでしょう……。青森の方、ご存じでしたら教えてください(笑)

(タシロハヤト)

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