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挫折を乗り越え6年以上No.1に君臨 中洲のキャバ嬢・桜りのが語る、成功の秘訣と新たな挑戦

モデルプレス / 2024年10月24日 17時0分

桜りの(C)モデルプレス

【モデルプレス=2024/10/24】中洲『BARCELONA桃李』No.1のトップキャバ嬢・桜りの。ファッションデザイナーの夢を断念しながらも、努力と“ギブの精神”で6年以上No.1を獲り続けている。現在はキャバ嬢として活躍する一方で、美容室やサロンを経営し、ガールズバーもオープンするなど多方面で挑戦を続けている。彼女が語る、挫折を乗り越えた経験と夢を叶えるための秘訣とは?

■夢の挫折から中洲No.1キャバ嬢へ
― まずはキャバ嬢として働き始めるまでの経緯を教えていただけますか?

桜りの(以下、りの):ちょっと昔の話になっちゃうんですけど、小さい頃おばあちゃんが洋裁のお仕事をしていて、めちゃくちゃ憧れていたんです。

その影響で5歳くらいから私もミシンを踏んでいて、服飾の専門学校にも通っていました。洋服をデザインして制作するコンテストで賞をいただいたことも何回かあり、絶対にファッションの世界に入りたいと思っていたんです。
― でも入ることができなかった?

りの:はい。とにかく3年間頑張って、行きたい学校の特待生になることもできました。ただ、私の家は12人兄妹でお金がなく…。学校が東京だったのもあり、上京するお金がなくて結局夢を断念せざるをえなくなりました。

― お金があれば夢も叶えられたかもしれないと。

りの:はい。こんなに頑張って結果を残しても、お金がなければ夢も叶えられないと18歳で感じちゃったんですよね。それがショックで家を飛び出し、一人暮らしを始めたんです。とりあえずお金を稼ごうと思い、メンズ服のアパレル店員をしていました。

ただその後、母が病気になってしまい20歳の頃から一緒に住むようになりました。もっとお金を稼がないといけない状況になってしまったんですけど、学生の頃は勉強ばかりしてきたし夜系のお仕事のこともよく知らない。そんな状況でたまたまスカウトされたのがキャバクラを始めたきっかけです。

― キャバクラで働くことに抵抗はありませんでしたか?

りの:無かったですね。母と住んでいたのでお金が必要だったこともありますが、私が想像していたよりもすごく健全な世界というか。働くまでは無知だったので、夜系のお仕事を一括りにして考えていたんです。それからは昼職もしながらキャバクラでも働く生活を21歳くらいまで続けていました。

― キャバクラ1本に絞った理由は?

りの:私の売上はずっと2位だったんですけど、当時の部長の方に「りのちゃんは絶対売れるよ。絶対に何百万、何千万って売れるから」って言ってもらえて。私には無理じゃないかと思っていたんですけど、そのお店のグループNo.1の方がすごく素敵で、こんな人になりたいという思いがあったので、思い切ってキャバクラに絞りました。

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