織田信長にも反旗を翻した戦国の梟雄「松永久秀」の新出史料、高槻市が発見
マイナビニュース / 2024年6月13日 20時18分
大阪府高槻市は6月12日、「戦国の三大梟雄」などと呼ばれる武将で、織田信長に反旗を翻し、そして信長が欲していたという「平蜘蛛茶釜」と共に自らの城で自爆して自害したなどという逸話などで知られる戦国武将「松永久秀(松永弾正の名でも知られる)」の書状が発見され、調査の結果、これまで知られていなかった新発見の史料であることが判明したことを発表した。
松永久秀は、畿内や阿波国(現在の徳島県)などに居を構えていた戦国武将の三好長慶の家臣として等角を表し、後に重臣となる。しかし、織田信長との戦いで降伏し、臣従する謀反、最期は信長が欲していたという茶器「平蜘蛛釜(古天明平蜘蛛)」と共に自爆したという派手な逸話が残されている(自爆は後年の創作で、居城の信貴山城で焼死、もしくは切腹が史実とされる)。松永久秀は生年不詳で、出身地も詳しくはわかっていないが、高槻市内の東五百住の出身とする説がある。
今回発見された書状は、東京の個人宅で見つかったもので、現在は高槻市立しろあと歴史館に寄託されている。調査の結果、三好長慶が芥川城主となる直前に出された新出史料であることが判明したという。書状は、三好長慶の重臣時代の松永久秀が、天文22(1553)年7月30日、長慶に味方をする室町幕府の幕臣・伊勢貞助らに宛てたものである。書状が送られる前年、対立関係にあった三好長慶と室町幕府将軍・足利義輝は和睦していたが、この書状が出される直前、義輝は長慶と敵対する細川晴元と手を組む姿勢を明確にした。そして、文書が出された翌月には、長慶は義輝を京都から追い落とし、芥川城(高槻市大字原)へ入城と伝えられる。
久秀は書状の中で、書状が出される前日、将軍義輝が長慶と敵対する細川晴元方の武将に酒を下賜し、義輝が晴元と手を組む姿勢が示されたという出来事について言及している。なお、義輝が晴元方の武将に酒を下賜したという事実は当時の公家の日記にも記されており、これまでも知られていることだったという。今回発見された書状では、久秀がそのことに対して「大したことはない」との強い姿勢を見せていることがわかるとする。
また、久秀は書状の中で、主に三好方の各地の勢力の様子を伝えると共に、伊勢貞助らに京都の様子を立ち聞きして伝えるよう依頼している。同書状は、三好方の動向を知ることができると共に、畿内の緊迫した政治状況の一端をうかがえる大変貴重な史料だという。
-
-
- 1
- 2
-
この記事に関連するニュース
-
本能寺の変は決して無謀なクーデターではなかった…明智光秀の計画を狂わせた2人の武将の予想外の行動
プレジデントオンライン / 2024年6月25日 10時15分
-
高槻市出身の戦国武将 松永久秀の書状を新たに発見
PR TIMES / 2024年6月12日 17時15分
-
秀吉が山崎合戦で光秀に圧勝した決定的理由…織田家唯一の軍法を作った光秀は「策士策に溺れる」典型だった【2023編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2024年6月9日 8時15分
-
「勝家の切腹を見て後学にせよ」真っ先にお市夫人を刺殺し自分の腹を十文字に切った柴田勝家の壮絶な最期【2023編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2024年6月5日 9時15分
-
NHK大河ドラマを子供に見せてはいけない…明智光秀が本能寺で信長を襲った理由は「私怨」ではない【2023編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2024年6月1日 8時15分
ランキング
-
1柴犬が必死でくわえようとするのはまさかの“一生無理”なヤツ 子どものような戦いに「激可愛すぎて永遠にリピート」
ねとらぼ / 2024年6月30日 7時0分
-
2様子見していたあのゲーム、今こそ買い時かも!特選Steamサマーセール「過去最安」編【Steamサマーセール2024年夏】
Game*Spark / 2024年6月30日 16時0分
-
3iPhoneでも使うべし!Google系便利アプリ5選|iPhoneでGoogle
&GP / 2024年6月29日 22時0分
-
4別人級メイクの達人がすっぴんからパーティーメイクすると…… 驚きの大変貌に「めちゃめちゃビジュがいい!」「これはまさしく詐欺」
ねとらぼ / 2024年6月29日 19時30分
-
5なんだこれ……! “近未来すぎる砂時計”が話題に 「こういうのたまらん」
ねとらぼ / 2024年6月30日 12時0分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください
![](/pc/img/mission/mission_close_icon.png)