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窓辺の小石 第172回 画面の光はすべて漢字

マイナビニュース / 2024年6月28日 17時16分

画像提供:マイナビニュース

いまでは、コンピュータで何不自由なく日本語を扱うことができるが、1980年台には漢字表示を行うことさえままならない時期があった。1979年にBASICを搭載した8 bit CPUマシンが登場したが、メモリ空間は64キロバイトで、漢字を扱うには能力が不足していた。しかも、初期のマシンの外部記憶は、カセットテープに音を使って記録するもの。記録密度も低く、読み書きにも時間がかかり、ランダムアクセスができなかった。

このため、漢字フォントや変換辞書を外部記憶に置くことはできなかった。8 bitマシンで日本語ワープロソフトが動くようになったのは、フロッピードライブやバンク切り替え方式が普及してからである。

専用装置としての日本語ワープロは、1978年のJW-10(東芝)が商用製品の最初である。ミニコンをベースにしたもので、メモリ空間は、最大64キロバイトと初期の8 bit CPUと大差ないが、ハードディスクやフロッピードライブを装備したもので、8 bitマシンとはシステム的に大きな差があった。

日本語を扱うためには、「漢字表示」が必要となる。マイクロプロセッサでは、メモリ空間が1メガバイトと大きくなった16 bit CPUを採用するマシン(1982年のPC-9801など)が登場して、ようやく漢字表示が可能になった。

漢字をコンピュータの画面に表示するには、大きく2つの方法がある。1つは、グラフィックスとして画面に表示する方法である。もう1つは、コードを使って画面に漢字を含む文字を表示できるハードウェアを作る方法である。前者の方が簡単だが、ソフトウェアに対する負荷が高く、CPUの処理速度に依存する。後者は、ソフトウェアの負荷は小さく高速だが、ハードウェアのコストがかかる。

当時のJIS C 6226:1978(のちのJIS X 0208)には第一水準漢字2965文字と非漢字453文字の合計3418文字がある。これを16×16ドットのパターン(32バイト)を記録すると、その容量は、約107キロバイトになる。このROMをメモリ空間に割り当てるには、8 bit CPUのメモリ空間64キロバイトでは不足だった。当時の16 bit CPU、たとえば8086は、アドレス空間が20 bitあり、1メガバイトのメモリ空間があったためにようやく利用が可能になったわけだ。

漢字の表示パターンさえあれば、あとは、グラフィックス(当時は640×400ドット程度)を使うことで、漢字を画面に表示できるようになる。漢字1文字表示するのに32バイトも書き込む必要があり、クロック周波数が数メガ程度だった当時のCPUには少し荷の重い処理である。一番の問題は、画面のスクロールだった。画面を制御するコントローラに、スクロールに対応した機能があればいいが、それがないと、画面全体(640×400ドットモノクロでも32,000バイト)を、1行分上に移動させる必要があった。多くのディスプレイ・コントローラーには、ビデオメモリ内で表示開始位置を指定するレジスタを使い、これを書き換えることで見かけ上のスクロールを実現していた。こうするとスクロールは早くなるが、画面の同じ位置に対応するビデオメモリのアドレスが変化してしまうため、グラフィックス描画処理が複雑になった。

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