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弟弟子が語る、「山崎将棋の破天荒な魅力」

マイナビニュース / 2024年7月3日 11時30分

画像提供:マイナビニュース

2024年7月3日に発売された、プロ・アマ問わず将棋界のすべてがわかる将棋総合誌『将棋世界2024年8月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)では、山崎八段の弟弟子であり、かねてより深い交流のある糸谷哲郎八段が、山崎八段とのエピソードや印象深い将棋について語った「山崎将棋の破天荒な魅力」を掲載しています。本稿では、この記事より一部抜粋してお送りいたします。

(以下抜粋)
○山崎八段の人となりに迫る

山崎さんとの出会いは私が小学校低学年、8歳の頃でしょうか。山崎さんは15か16の奨励会員(たぶん三段)で地元の広島の道場にたまたまいらっしゃり、席主の方の紹介で指導を受けることができました。

山崎さんと私は学年で8つ違い。道場には片上大輔さんも通われており、少年時代の山崎さんとすごい局数を指されていたという話はあとから聞きました。

山崎さんと片上さんの年齢関係は山崎さんが1個上ですね。私は小4のときに奨励会に入ったんですが、山崎さんという存在を身近に感じるようになったのは、自分が有段者になって関西将棋会館の棋士室で10秒将棋を指すようになってからです。

当時の山崎さんは棋士室によくいて、ラスボス的な存在でした。それに将棋を指すのが大好きなんですよね。とにかく強くて、こちらがけちょんけちょんにやられるとまだまだだね、という空気を出されるので、どうにか4局くらい指すうちに1勝はしないと、という思いで体当たりしました。

10~20代の頃の山崎さんは意外と変な将棋ではなく、初期の頃は本格的な角換わりとかが多くて、いまみたいに相掛かりの力戦形という感じじゃありませんでした。当時は関東に比べれば関西は研究が甘かったということはあったかもしれないんですけど、極めて真っ当な将棋でした。

山崎さんは後手番一手損の相腰掛け銀で決定版の新手を出したりしたときもありましたが、そのあとで段々と個性的な将棋に変貌していきました。ご本人もおっしゃっていましたが「相手も自分も、互いにわからないような将棋を指したい」という思いが強くなっていったようで、定跡のレールに乗るのではなく、先が見えない未知の局面を考えるほうがいい、闇の中に引きずり込む将棋がいい、と。もちろん昔からそういう傾向はあり、いわゆる研究勝負を重視する方向で将棋を指していた時期は山崎さんには一度もないと思います。
○自由奔放

山崎さんは私に対してだけではなく、後輩の面倒見が抜群にいいです。練習将棋は頼まれれば誰とでも指してくれます。「山崎10秒将棋道場」に鍛えられた人はかなりの数がいるはずです。

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