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全盲の少女“イーちゃん”とテレビ局記者の25年、重度障がいの弟も支えに「誰にも生まれてきた意味がある」

マイナビニュース / 2024年7月18日 12時27分

橋本氏と唯織さんの出会いは1998年、静岡盲学校の100周年記念式典だった。当時28歳の橋本氏の目の前をニコニコしながらスキップしていた唯織さんにインタビューしたところ、「1つ質問すると10答えが返ってくるんです。どうしたらこんなに明るい子が育つのか、どんな家族なのかと会いたいと思ったのがすべての始まりです」(橋本氏)と振り返る。

そこで、橋本氏が忘れられない言葉があった。

「小学生のイーちゃんに、スーパーで“点字が付いてるのはお酒しかないね”と話したら、“何で私は見えないの?”と逆に質問されて、私は答えられなかったんです。その時に“イーちゃんはどう思うの?”と返すしかなかったんですけど、そこで“私はお母さんのお腹の中で病気をしたから見えないと思う”とちゃんと答えて、この言葉の強さがすごいなと思って、追いかけたいと思いました」(橋本氏)

一方の唯織さんも、取材開始当時に橋本氏にかけられた言葉が忘れられないという。

「“なんで取材をしてくれたの?”って聞いたときに、“目の前を全速力で行くすごい子がいるなと思った”って言ってくださったんです。最初に聞いた時は、ただ“興味を持ってくれたんだな”としか感じてなかったんですけど、どんなことがあってもめげずに追いかけてくれたことによって、本当に私のことを知りたいんだと、そしてウソではなく本当の私の姿を見て見守ってくれてるんだということに気づけました。なので“すごい子がいるな”が、今でもすごく印象に残っています」(唯織さん)

●いじめを受ける姿に「何度も撮影をやめようと」
当初は障がい者にカメラを向けることが難しい時代で、多くの生徒にモザイクをかけなければならず、先輩には「障がい者がかわいそうになってしまうから、番組を作っても仕方ない」とよく言われたという。それに疑問を持った橋本氏は「取材を快く引き受けてくれたイーちゃん家族は私にとっても救いでした。この家族だったら障がいがつらいとか、暗いとか、かわいそうだという概念を変えてくれるのではないか、そういう番組を作れるんじゃないかと思ってきました」と、番組制作の原動力になった。

それから四半世紀にわたり家族追い続けてきた中で、橋本氏が「イーちゃんも嫌だったことは、もちろんありますよね」と聞くと、唯織さんは「中学の頃、悩んでいる時に撮影されるのは本当に嫌でしたね。どうしてそんなところまで撮影するの?と分かりませんでした」と回答。「橋本さんのことは好きだけど、カメラを回す橋本さんは嫌いで…(笑)。でも、私を見捨てず見守ってくれたこと、今はとても感謝しています」と茶目っ気たっぷりに伝えた。

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