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カレー沢薫の時流漂流 第321回 私のAIの前で泣かないでください

マイナビニュース / 2024年10月14日 21時59分

画像提供:マイナビニュース

私は猫派なのだが、詳しく宗派を述べるとしたら「猫原理主義偶像崇拝過激派」である。

山伏姿でX上に出現、茶碗を箸でかき鳴らしながら猫を乞い、恵んでもらった他人の猫画像に祈りを捧げるのが主な活動内容だ。

つまり、自分では猫を飼っていない。

家は持ち家だし、私は何故か一日中家にいるので環境的にはこれ以上なく飼えるのだが、自分は猫を飼うに値する人間ではないという唯一かつ最大の理由により飼ってないし、飼う予定もなかった。

私は己のケツも拭けぬ人間であり、腐らせた自室の床にゴミを敷き詰め見えなくするというリフォームを施した匠である。

このようなだらしなさで自分が薄汚くなるのは仕方ないし、それに他の人間が巻き込まれるのも100歩譲って仕方がない、だが猫だけには被害を与えたくないのだ。

よって、実体にはあえて近づかず、猫という概念を崇め、他人の猫画像を奉る日々を送っていた。

しかし、夫が突然「保護された子猫を連休の3日間預かる」と言い出したのだ。

「神を顕現させる」と言っているようなものであり、そんなことを安易に決めるなとも思ったが、人間の思想など、今困っている子猫の前では風の前の陰毛以下である。

○故人を偲ぶのは常に残された側

そんなわけで当初から3日の予定で子猫を預かったのだが、何故か1日目には「永遠にうちの子」と思ってしまったため、予定通り3日預かって子猫を失った今、見事なペットロスに陥っている。

逆に言えば、3日でここまで患ってしまうような脆弱な精神の者が猫を飼うべきではなく、これで良かったとしか言いようがない。

3日でこれなのだから、長年共に過ごしたおキャット様を失った人間の悲しみは筆舌に尽くしがたいだろうし、おキャット様に限らず、離別に苦しんでいる者は大勢いるだろう。

そのような愛別離苦を人間は様々な方法で癒して来た、寺からアーティストを呼び、個人のためだけにライブを開いて見送ったり、埋まっている場所に定期的に祈りを捧げたりしている。

記録媒体が生まれてからは、写真や映像を見返して故人を偲ぶ人も多いだろう。

私も、子猫を失ってから、3日の間に撮影した写真や動画を見返しては泣いている。

ただ子猫は没したわけではなく、現在の飼い主からしたら、自分の猫の写真を見て「マイキトゥン…」と泣いている中年女がいるというのは恐怖である。

「お前の妻の写真を部屋一面に貼っている奴がいる」と言われたら、例え法に反してなくても怖いだろう。

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