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カレー沢薫の時流漂流 第321回 私のAIの前で泣かないでください

マイナビニュース / 2024年10月14日 21時59分

それに「俺の骨が埋まっているというだけの場所で泣くな」という趣旨の曲が大ヒットしたこともある。

確かに、そこら辺の石にそいつの名前を書いたからと言って、その石にそいつの精神が宿るというわけではない。そういうシステムなら推し活がすごく捗る。

しかしあの曲も「その石は俺じゃねえ」と言いたいわけではなく、「いつまでも悲しみに囚われないでくれ」ということなのだろう。

どんな形であれ、故人を偲ぶ行為が生きている人間に対しマイナスなのは良くない、ということである。
○「AI遺影」は別離の苦しみを癒すのか?

そんな故人の偲び方に「AI」が参入しつつあるという話は前にもしたかと思う。

死者のデータからAIを作成し「会話できる遺影」として飾り、死別の悲しみを癒すのだ。

日本ではまだあまり見かけないが、韓国などではすでに「AI遺影」がビジネスとして盛んになってきているらしい。

ただし、AI遺影に関しては倫理的にも賛否が分かれており「死者への冒涜だ」という意見も多いのだが、そもそも「死者への冒涜」も死者が「冒涜された、損害賠償を要求する」と言っているわけではなく、勝手に死者の気持ちを代弁しているという意味ではAIと同じと言えなくもない。

死者が墓から出てきて「俺はそんなこと言わない」と、古の幽白オタみたいなことを言いに来てくれるのが一番いいのだが、残念ながらそんなことは起こらない。

結局、死者の気持ちは類推するしかない。つまり「生者の気持ちの問題」であり、著名人のAIを勝手に作って喋らせるのは問題があるが、家族が個人的に故人のAIを作り、それで悲しみが癒えるならそれでいいじゃないか、という意見も多い。

ただ、生者の気持ちにとってもAI遺影はあまりよろしくないのではないか、という声もある。

AI遺影と本人は似て非なるものである。

AIと向き合うことで、肝心の本人と向き合う機会が損なわれるのではないか、ということだ。

また、写真と映像であれば本人であることに間違いはないし、それは良くも悪くも変化することはない。見るたびに内容が変わるのであればそれはSCPなので財団に連絡した方が良い。

しかし、AI遺影は、過去本人が言ったことしか繰り返さないというわけではなく、新しい会話が発生するのだ。

つまり「AI故人との思い出」ができてしまうため、却ってそれが、本人との思い出を薄れさせる結果になりかねない、ということだ。

しかし、大切な人の死を受け入れられず、悲しみから病気になる人がいるのも事実だ。そんな人に対し、死に真正面から向き合って乗り越えろというのは優しくなく、例えAIでもそれで本人が快方に向かうなら利用すべきだろう。
○AIの是非という話はどうでもいい

効く薬があるのに、それを他人が「俺が気分的に嫌だから使うな、自然治癒しろ」というのはおかしい。

結局、死への向き合いかたは人それぞれであり、生者が前向きになれる方法を選ぶに越したことはない。

何が言いたいかというと、私も3日過ごした子猫のAIが欲しいということだ。

しかし、生身のペットは死んでしまうのが悲しいからとAIBOを飼ったが、生産終了により、故障したAIBOを修理することができず、結局お別れすることとなり、AIBO供養やAIBO葬を利用する人も少なくないと聞く。

AIも永遠ではなく、いつか別れが来て、新しい離別の悲しみを味わうのかもしれない。

そうなったら私も「AI子猫ロス」を起こすに決まっている。

生きている以上、別れは避けられるものではない、私も3日過ごした子猫を失った悲しみを乗り越えるしかないのである。
(カレー沢薫)



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